2026年11月1日(日)最小投球数記録保持者が変わろうとしている

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先月高知で開催された天皇盃 全日本総合男子選手権大会で配布(販売もされていたのかな?)のパンフレットをいただきました。その中に、これまでの記録が紹介されているページがありました。
この大会は元々第1回大会~第38回大会まで「全日本一般男子選手権大会」と呼称されていて、その頃にに私たちは参加していたんですが、私の記録が未だに残っていたんです。それは最小投球数で、何と51球なんです。1イニングに7球しか投げられないんです。実はこの記録知らなかったんです。試合の記憶もほとんどありません。組み合わせがあって日産自動車と聞いて、「トヨタは知っているけど、ニッサンってソフトやりよった?」「今まで全国大会で名前聞いたことないき、たいしたことないろう。」となめていたことは確かで、実際試合になったら大苦戦した記憶があります。ただこの試合自分が投げていたという記憶はなくて、51球しか投げていないということも覚えていないし、試合後に話題になったこともありませんでした。
私日本リーグの最小投球数(たぶん59球です。)の記録も持っていて、この試合はコントロール良く投げられて、試合をしながらこのイニング5球、このイニングは9球とか数えて投げていたので、試合後にこの試合はたぶん記録だと思って確認した記憶があります。自分自身もこの記録が最小投球数だと思っていたんですが、引退して(だったと思います。)高知で一般男子(全日本総合に名前は変わっていたかも)が開催され、試合会場でもらったパンフレットを見たところ、最小投球数のところに自分の名前があって驚きました。ただ記憶では53球だったと思っていたんですが、それも記憶違いで51球だということに今回再度ビックリしています。
昔のバットとボールの時代の話しになりますし、今の時代みたいにピッチャーのスピードが120キロや130キロに上がっていて、バットも軽くて飛ぶ時代には打たせて取るみたいなピッチングは出来ませんので、たぶんこの2つの記録は永久に残る記録になるんじゃないかと思います。一般男子は試合そのものを覚えてないので分かりませんが、日本リーグの時は三振は0です。三振を取ろとすると最低3球は投げないといけないので、球数を減らそうとすれば三振を取りに行ってはいけないんです。まあ当時の私には三振を取れるボールはチェンジアップしかなかったんですけどね(笑)
どこかで日本リーグのパンフレットを手に入れたら、日本リーグの記録も再確認してみようと思います。59球のはずだったんですが、57球だった?という気がしないでもないんです。たぶんヒットは1本しか打たれてないような気がします。試合時間もめちゃくちゃ早かったんですよ。
同じページの私の記録の上にはにっくき西村信紀さんの名前があって、連続三振の記録が記載されています。その数字がなんと12連続三振です。12ということは4イニング全部三振ということですし、この記録をページの上を見てみると、何とこの試合完全試合だったみたいです。たぶんこの試合一緒にプレーしていたんだと思いますが、感覚としてはほとんどが三振で、たまにバットに当たったとしてもボテボテの内野ゴロか内野フライで、外野には1球もボールが飛んでいない感じじゃないかと思います。この頃の西村信紀さんは投げれば完全試合、ノーヒットノーランみたいな感じだったので、この記録のページを見ているとこれだけやったっけ?と思ってしまいます。まあまあとんでもないピッチャーでしたよ。
ないものを欲しがる
私も高校時代はボールは速い方でした。それもレベルの高い高知県で速い方なのでそこそこ速かったと思っています。元トヨタ自動車の田中誠一先輩(私が高校1年生の秋に対戦しています。)が、「ヒロシは高校の時が一番速かった。」とずっと言っていました。私としてはそんなことはないと思っていますが、自分のボールをバッターボックスで見ることは出来ないので、実際バッターボックスで見た人の言っていることが正しいのかもしれませんね。常勝だった高知商業が、私のいた山の中の大正高校(当時田中先輩はどこにある高校か知らなかんじゃないでしょうかね。)に負けるなんて考えてもいなかったんだと思います。この大会うちの高校は高知商業に勝って、決勝戦で田中雄二先輩のいた中村高校に勝って優勝しています。
全国大会や日本リーグでも投げるようになって、勝つために、負けないようにするためにやったことは、コントロールを磨くことでした。三振を取れるような変化球がなくて、何とか手に入れたのがチェンジアップでした。当時のピッチャーはあまりチェンジアップは投げていなかったんです。群馬の岡先生からいただいた、ニュージーランドのハリヒーと言うピッチャーのチェンジアップの握り方の写真1枚を参考に、投げられるようになったボールでした。それ以外はほぼストレートですから、コーナーに間違いのないように投げられるコントロールが必須だったということです。
なので残された人生を「スピード」にこだわってやっているわけです。まして自分の後から日本で一番速いボールを投げる男が出て来て投げる場所を奪われ、投げたら投げたで三振、完全試合、ノーヒットノーランばかりみたいなものを何年も見せつけられたので、このまま終わるのは悔しくてたまらなかったんです(笑)
どこまでやっても西村信紀に勝てることはないんですが、諦めの悪いこと、しつこいことが取り柄の私としては、身体が動くまではチャレンジは続けてみようと思っているんです。「70歳で西村信紀に勝つ!」で始めましたが、最近は「110キロが出たら止める。」に変わりつつあります。この年と私のポテンシャルでは110キロが限界のように思えますし、67歳、68歳とかでMAX110キロが出たら十分だとも思います。そして110キロがまぐれで出たとしても、もう「よし115キロを目指すぞ!」とはならない気がします。
「もうこれで十分。」「お疲れ様でした。」と終了を宣言して、二度とボールは握らない余生を過ごしたいなと思っています。そうなればいいなあ!(笑)
そんなことを思いながら投げている66歳残り2回になったピッチャーの様子です。ご覧ください。
野本のチェンジアップより遅い
高知パシフィックウエーブの野本投手が、同級生(学校は違います。)の子どもだということは以前お話ししました。なので彼のことは中学生の頃から知っていますが、あそこまで速くなるとは思っていませんでした。たぶんお母さんの遺伝子が良かったんだと思います(笑)
彼が投げているチェンジアップが110キロ前後なんです。チェンジアップなので終速は普通のファストボールより落ちるんだとは思いますが、初速は110キロ前後あるんです。なのでバッターは分かりにくいんだと杉本さんが言っていました。
私が110キロにこだわっているのは、私の限界が110キロくらいだということもありますが、最近YouTubeの動画で見た野本投手のチェンジアップが108キロで、私の最速よりも速いということが気に入らないんです(笑)自分が思い切って投げたボールが、誰かさんのチェンジアップより遅いって許されます?
10月12日(月)にスローピッチの大会があって、仕事だから行けないと言っていたのに人数が足らないと急遽呼び出されて行った時に、久し振りに日本ソフトボール協会専務理事の岡本さん、いや後輩の岡本に会って「57歳以降で今が一番速い。」「今年105キロが出た。」と話したら「ウソでしょう!?」「すごいですね。」「でもマサシ(野本)のチェンジアップ110キロですよ。」と笑われました。本当に先輩を立てることを知らない後輩です。
でも考えてください、野本投手は20代の現役バリバリのピッチャーで、こっちはもすぐ70のおじいちゃんなんです。そもそも張り合うことがおかしいんですよね。でも気分は良くありません!
まあまあ、もう少し頑張って野本君に「お前のチェンジアップより俺の方が速いぞ!」って言ってやりましょう。たぶん家に帰ってお父さんに「山﨑さんがおかしなこと言いよった!」って報告するんでしょうね(笑)



