コロナ禍と言われた3年間、失ったものも多かったですがコロナ禍だったからこそ出来たこともありました。それがスピードの追求でした。どんなボールでもいい、どんなことをやってもいいので速いボール投げるに集中出来た3年間でした。
それが全体練習に復帰するとなかなかそれだけをやっている訳にはいかないという現実に、心と身体が対応出来ずに苦悩するということになっています。
バッターがいるとどうしても
コロナ禍と今の大きな違いはバッターがいるかどうかです。バッターがいると「ストライクを投げないといけない」「打たれたくない」のような感情がどうしても生まれてきます。練習なんでとは言ってもキャッチャーのミットを見てしまいますし、そうすると顔が前を向いてしまいがちになるので自然と身体も横を向きずらいことになってしまいます。
「抑えたい」「打たれたくない」という気持ちは、それでなくても投げ急ぐ私にとってはさらに投げ急ぎを助長してしまう結果になり、思うような動きとは正反対の悪い動きになって行きます。
さらに困っているのは「これではダメ」「こうなっていてはいけない」と分かっているのにそうなってしまうことで、心が折れてしまいそうになることです。コロナ禍の時なら一旦休憩して仕切り直しすると少しましになることもありましたが、全体練習ではそんなことは出来ませんので狂ったまま投げ続けることになってしまいます。
だからと言って練習に参加するのを止めるという選択はないので、平日にしっかりフォームと心の確認をして、日曜日練習に行ってやってみる。ダメならまたやり直すを繰り返すしかありません。
しかしバッターというものはやっかいな存在です。このバッター相手の投球にはスピードだけではなくてコントロールや緩急、そして変化というものが必要で、さらに勝てるピッチャーには精度というものが要求されます。
当然7回投げることを前提に準備する訳ですから常に100%で投げることは出来ないし、バッターの手元で速い、伸びがある、キレがあるボールを投げるためには7~8割程度で投げるのが一番余計な力(力み)抜けて良いボールになることはもう何十年も前に経験していることでなんです。
でも57歳から追求していることはそれじゃないんです。どんなボールでもいい、一球だけでいいので西村信紀より速いボールが投げたいだけなんです。自分でも無謀な挑戦、無理なことをやろうとしていることは重々分かっています。自分を63年間見てきて、西村信紀も目の前でずっと見てきてる訳ですから(笑)だからかすかに可能性があるであろう「70歳で西村信紀に勝つ!」という時期まで指定しました。
試合で投げたいわけじゃない
試合のために練習をする。当たり前のことです。でももう50年くらいそれをやってきたので、あまりそこに魅力を感じないのも事実です。でも試合になると負けたくはないので、なんとか勝てるように頑張ることになります。
そうすると今投げられるボールでバッターを抑えるにはどうしたらいいのかを考えることになります。とりあえず今のバットは当たると飛んでいくので、どうやって心を外すかになります。私のボールではなかなかバットに当たらないようにはならないからです。
ちょっと落とす(落ちるが正解かも?)ちょっと浮かす(ちょっと浮くです)チェンジアップでずらず。若い時はこれに抜群のコントロールがありましたので、何とかなっていました。
でも今はどこに行くかわからないようなコントロールしかありません。それは必要なかったからです。でも意外に狙いは曖昧だけれど上手く身体が使えた時の方が勢いがあって、コントロールもそこそこ良いってことにはなります。それは身体のブレが少ないからだと思います。
これがストライクを取ろうなんてことになってしまうと身体の動きは遅くなりますし、腕のスイングの鋭さも消えてしまいます。こんな置きに行くようなボールではバッターは抑えられませんよね。
弘瀬先生はコロナ禍の二人っきりのピッチングでも常に試合を意識してましたし、バッターを想定して投げていました。一方私はと言うとまったく試合やバッターは関係なく、スピードガンの数字だけしか考えていませんでした。だからいくら弘瀬先生がああしろ、こうしろとアドバイスしても耳を貸さない訳です。私は試合で投げたいなんて思っていないんですから(笑)
心と身体の整理をしよう
現状は県内の試合には行くけど、宿泊を伴う県外の試合はまだ見送りという判断です。でも試合となると身体と心が勝手に試合対応をしだすんです。キャッチャーミットを良く見て、そこに向けて手を出して行く。そして打たれる。これでは面白くないですね。
思うように動けてはいませんがバッターがいない時にはそこそこ威力のある、そしてキレのあるボールが投げられる時もあります。いかにそんな感じでバッター相手にボールが投げられるようにするためにはどうしたらいいかを考える時が来たようです。
結果として打たれなかったからいいではなくて、抑えても打たれても納得の行くボールが投げられるような準備、心を身体(フォームも含めて)の準備をしていくしかありません。この2週間の失敗もそのための練習と思うようにします。
それでは全体練習復帰2回目の様子をご覧ください。
最後後輩にでっかいホームランを打たれて終わりましたが、こんなことをやりながら試合感覚も取り戻していくんだと思います。でも今のところコロナ禍の3年間の方が良かったなあと思ってしまいます。いかに自分のことだけをやっていることが楽だということでしょう。まあこの日もかなり自分勝手にはやらせてもらいましたけどね(笑)