WBCで侍ジャパンが優勝しました。おめでとうぎざいます。プレーを見て興奮し、そしてその後の監督やプレーヤーなどのコメントに涙した2日間でした。年でしょうか?本当に涙腺がゆるくなりました(笑)
最後、おまえで勝つんだと言ってきた
栗山監督が村上選手に言い続けてきた言葉だそうです。監督のゆるぎない信頼を示す言葉ですし、言われた方はこの人のためにやるしかないと思わせる最高の言葉です。こんな環境で野球が出来ることがうらやましいですね。
私も今から40年近く前に良く似た言葉をかけてもらったことがありました。その言葉は
「どうせ負けるならヒロシくんで負けよう!」
聞き方によっては良く似た内容になるんですが、前者は言葉としては勝つことが前提の言葉に対して、私への言葉は負けることが前提なので、私に失礼な言葉ではありますね(笑)
これは愛媛県で行われた国体四国予選のことでした。当時は北海道に男子のソフトボールがなかった(?)こともあって、この1枠が毎年順番に各地区に与えられえる制度で、この年は四国に国体出場枠が2枠ありました。
予選は四県が抽選でトーナメント方式で勝ち上がります。優勝はそのまま国体出場となり、一回戦負けたチームが対戦して勝った方が、決勝戦に負けた県と第2代表をかけて試合をする方式でした。
一回戦愛媛県に負けて敗者復活戦に回り、それは私が投げて勝って第2代表決定戦になりました。その相手が一回戦に負けた愛媛県でした。優勝候補だった愛媛県が負けて、この日2回目の対戦が決まったあとのことでした。チーム内の選手数名から「どうせ負けるならヒロシくんで負けよう。」みたいな発言がありました。
一回戦は私じゃない左ピッチャーが投げてふがいない負け方をしていたんです。このピッチャーは日本でも有数の左ピッチャーだったんですが、うちのチームに来た当初はあまり練習もせずチーム内の信頼はあまりなかったんだと思います。一方私はこつこつ走ったり練習したりして何とかこのチームでの居場所を確保している選手だったので、「どうせ負けるならヒロシくんで行こう。負けても悔いが残らない。」という気持ちになったんだと思います。
監督も同じ気持ちだったようで私が第2代表決定戦の先発になりました。私としては嬉しい言葉ではありましたが、最初から負ける前提での発言は「おいおい、俺なら勝てんとでも言うつもり?」と思っていました。これが私の闘志に火をつけたことは間違いありません。そして試合は私が投げて、そして決勝点も私が打って上げて勝ったような記憶があります。
今冷静に考えると対戦相手や私の実力を考えての発言と理解でしますが、若かった私は「ヒロシくんで勝とう!」って言ってもらえなかったことが悔しかったんだと思います。言葉とは本当に難しいものですね。
今もこつこつやり続けています
実際現役を引退した時にもうソフトボールはいいや!と思っていました。いろんな経験をさせてもらいましたのでもう十分だと思っていました。しかしそれから先は自分の意思だけでは決められない環境がありました。
トレーナーとしてチームに関わり続け、そして壮年になると先輩たちがやっているチームに誘われ「どうせどこでもやるつもりはないので登録してもらってもいいですよ。」としたことが間違いとなり、この大会だけから始まりどっぷりソフトボールに浸かってしまいました(笑)
今年64歳になりますが、新たな目標を設定してやり続けています。頭の中ではやらなければいけないことがはっきりしてきました。これが出来ると本当にこれまでとは違った景色が見えそうな気がしていますが、世の中そんなに甘いものではありません。頭の中のイメージ通り身体が動いてくれないんです。元々持ってないないセンス、老化して動かない関節や筋肉、いろんな要素が邪魔をしてくれてはいますが、でも何か変わりそうな気配はあります。
そんな苦悩の一部をご覧いただきます。それではどうぞ。