暗中模索どころか五里霧中になってしまっている私のピッチングフォーム改造ですが、あまりの出来の悪さに「群馬の元教員」という方からアドバイスのメールをいただきました。
アドバイスをいただきました
「山崎様、いつも楽しく拝見させて頂いてます。
先日の西村投手の手首の使い方ですが、前腕部をブラッシングの瞬間、体側部で転がすイメージはどうでしょうか?。
また、手首の使い方ですが、バドミントン選手のスマッシュやハンドボール選手のシュートなど参考になさってはいかがでしょう。
それとバレーボールのスパイクも参考になると思います。研究課題の一つとしてみて下さい。」
ありがとうございました。運動ってからだで表現するものですが、それを伝えるのにはイメージを言葉にしないといけなくなります。このイメージを伝えるときにどのような言葉で伝えるかで、受け取る側の理解も違ってきますよね。
同じことを伝えようとしているのに、人によって使う言葉が違うんです。たくさんの指導者が違う言葉で指導するので、選手が迷ってしまって動けなくなってしまった姿を見たことがあります。
さすがにレベルの高い群馬県で教員をされていた方のお言葉です。非常に分かりやすい言葉と、例示によってイメージしやすいアドバイスになっています。早速やってみようと思います。結果はまた動画等でお知らせしますね。
腕振りについては、野球のピッチャーもバドミントンの選手のスマッシュも、ハンドボール選手のシュートやバレーボール選手のスパイクも共通した腕振りでないと、強くて速いボールやシャトルの動きになりませんよね。
ソフトボールのピッチャーのリリースも、全く同じ動きであるというイメージがつい先日までなかったんです。最初は小学生の時に始めた体側に腕の当らないスリングショット投法でした。高校になってウインドミル投法に出会い、腕を大きく回せ、肘を曲げるな、リリースでは強く振り上げろ、最後は指先をキャッチャーに向けろと指導されました。
それから40年以上それでやってきているので、その亡霊から脱け出すのにはなかなか時間が必要だと思います。そしてそれを手に入れた途端、細かなコントロールを手放すことになるのではないかという危惧も生じています。
群馬県との関係
群馬県は私たちが一般でソフトボールを始めた時には、すでに日本でも有数のソフトボール強豪県でした。三宅さん(現日本ソフトボール協会副会長)が絶対的エースで、群馬に追いつけ追い越せで頑張ってはいましたが、憧れを抱いているいような状況ではなかなか勝つことはできませんでした。
たまたま二度目の対戦になった、世界選手権の前の年の総合選手権の決勝戦で逆転勝ちして、翌年闘犬センターと群馬教員を中心とした全日本が編成され、そこでご一緒したことから縁が生まれました。今でもその時の方たちとの関係は続いています。
その当時に三宅さんからも指導していただいたことがありましたが、言っていることは分かるのですが、やろうとしてもなかなか自分のものに出来ませんでした(笑)この時に三宅さんは普通とは違うリリースをされていました。この方が速い!と説明されていましたが、ものにすることは出来ませんでした。
チャンスはあったのに、やっぱり不器用なんですね。
年を取って目指すものとは
さて、深い闇の中に突入した私のフォーム改造ですが、分かったこともたくさんあります。弘瀬先生や西村さんに教わった技術はもちろんですが、今やろうとしていることが非常に無謀なことだということです。
年を取れば体力、筋力、瞬発力、柔軟性、回復力すべてが落ちてきます。そこでソフトボールを続けていくのであれば、それに合わせて少しずつ動きを小さくしたり、効率的に動かしたりすることで、衰えをカバーしようとするのが普通です。
それに対して私のやろうとしていることは真逆の、動きを大きくして、負担を大きくしてまでもスピードやキレを追究しようとしている訳ですね。
弘瀬先生の指導動画の中で、私が言っているという「70歳で西村に勝つ!」は究極の目標ではありあります。このフォームを手に入れて、70歳で今のままのボールが投げられるのであれば、その時には西村さんに勝てる可能性がるのではないかと思っています。
ただそれには、西村さんが70歳でもうボールが投げられなくなっているという条件が必要なんですけどね(笑)彼が70歳でもまだ投げていれば、やっぱり勝てないような気がします。いつまで経っても目の上のたんこぶのままなんでしょうか。
動きを長嶋さん流で言うと、元々は低くしずんでためておいて、それを「ぐ~っ」と押して投げていたものを、「バ~ン」と飛んで「ビュッ!」と投げるように変えようとしているんです。分かりますか?(笑)
ここまでくると改造ではなくて、まったく違った投げ方にしないといけないということですよね。これが気がついたことの一つです。
2019.1.29の私
で今はというと、昔からの投げ方と新しい投げ方のどちらにも行けずに、道に迷ってしまっている状態なので、ボールも走らず、力も入らず、納得いかずと闇の中をさまよっている状態です。
今週の日曜日の状態がこれです。
年明けの西村さんの指導時に、スタートするときに右手と左手を一緒に上げるのが一番難しいと言われ、そのせいもあって左手(グラブ)が上ってないとの課題を見つけました。
これを改善するために、セットして一旦両手を頭上に上げて、その手を下げてきたらボールをグラブから出すように変えてみました。すると左手は少し上るようにはなっているんですね。
しかし右手が外に出る(三塁側)ようになってしまったので、腕の回転がからだから離れるようになってしまって「抜け球」が多くなってしまいました。
リリースは改善されてません。頭で描くイメージをからだが表現しようとしないんです。ボールをキャッチャーのミットに投げようとすると、勝手に昔の手の使い方をしようとします(笑)
次回は群馬の先生のアドバイスを意識してやってみようと思っています。
杉本博司さんからのアドバイス
このピッチングを難しい顔で横から見ていたのが、当法人のアドバイザーでもある「杉本博司先輩」でした。
出て来た言葉が
「お前、何がしたいがな?」
でした。黙って見てられなかったんでしょうね(笑)
杉本さんとはもう30年以上一緒にソフトボールをやってきました。私のほぼ全てを知っている方です。センターから私のピッチングも見てこられていて、良いところも悪いところも分かっているので、今私がやっていることにずっと疑問を呈してこられていました。
「飛ばんほうがええ!」
答えは簡単です。コントロールも球持ちも、今のところスピードも安定しているわけですから、これを捨ててどこに行くかも分からない暴れるフォームにする意味が分からないんだと思います。
守る側としても守りやすいんでしょうね。
私のコントロールの良さを示すエピソードをご紹介しましょう。たぶん日本リーグのことだったと思います。私が投げていて右バッターが打った打球を三塁手がトンネルしました。それをショートが取って一塁でアウトにしたことがあります。ショートの動きも凄いんですが、この時期にはほぼコントロールミスをすることがありませんでしたので、内角低めの要求通りにボールが行って、このバッターが打つとここに飛んでくるだろうという予測が出来ていたんだと思います。
まさかサードの股間をボールが抜けてくるとは思っていなかったんでしょうけど、守りやすいピッチャーであったことは事実だと思います。
それを捨ててまでやろうとしているのは、自己満足なんでしょうし、1回でいいので西村さんより速い時代を作りたいというピッチャーとしての欲なんだと思います。これが70歳という年齢を目指さないといけいのと、西村さんが投げられないという条件つきであることが、その達成がいかに困難な命題なのかを物語っていますね。
ただこれはあくまでも私個人の想いでしかなく、後ろで守る可能性のある杉本さんからすると「こいつ、何訳のわからないことをやっているんだ。」という疑問しかないんだろうと思います。
そんなことを含めて心配になったんでしょう、夜電話がかかってきました。
「俺はピッチャーじゃないんで、良くわからんがやけど・・・」
という優しい言葉から始まって、昔の私の投げ方、今やろうとしていることへの疑問とアドバイスを聞かせていただきました。言われてることが正しいんです。私がその立場だったら、そのまま同じアドバイスをしているでしょう。
今回やろうとして追及してみて、初めて分かったこと、さらにやってみて初めて分かったことが多くありました。「遅いわ!!!」と自分でも思いましたが、まだこの先にやってみて分かることがありそうなので、危なっかしいでしょうけどもう少しやらせて下さい。