11月10日(日)の練習が59歳最後の練習になり、つまり59歳最後のピッチングになりました。
前日の元全日本の同窓会のお酒が残り、身体に力は入らないは、軽めに食べた朝ごはんも足らなかったのでしょう、お腹がすいてやる気がまったく起こらない練習になってしまいました。
そのまま終っても良かったのですが、何か何もしないで終るのもどうかと思って最後少しだけ投げて終ろうと思いました。弘瀬先生も自分の動画撮影のついでに私の動画を撮ってくれるというので、59歳最後のピッチングを残してみました。
2ステップから1スッテプへ
この1年間の中で大きく変わったものは2スッテプをやめて、1ステップに近い投げ方になったということです。ただこれは投げ方を変えたというよりは、自分の投げやすい形、力の入りやすい形、ボールをコントロールしやすい形を探していたら自然とそうなって行ったという感じです。
ただこの投げ方にも多くの不満というか、ここをこうしたい、ここがこうなればこうなるのにという課題が山積しています。今年はそんなことに多く気づけた1年でもありました。「速いボールが投げたい。」と西村さんに教えを乞い、何度も岡山に押しかけてやってきましたが、速いボールが投げられない理由がいっぱい見つかった1年でもありました。
これは1つずつ直していくというより、あるところを変えることができると自然に次の動作がしやすくなり、そしてそれが連動して動いて最後に力がボールに伝わって速いボールになるというもののような気がしています。このことはまたまとめてお話しさせてもらいたいと思っています。
カラダの変化
いよいよ15日には60歳を迎えます。頭の中はまだまだ若いつもりでいますが、60年使ってきたカラダはあちこちガタがきています。もともと柔らかくないカラダですが、さらに固くなりつつあります。これが一番の問題ですね。回らない、捻れないカラダでは、残せない、タメが作れない、すぐに前をむいてしまいます(笑)
6月から始めたウエイトトレーニングも若い頃のようには効果が出てきません。やっと筋肉が大きくなってきたなという感じはあるのですが、それがスピードアップにつながってこないのでは意味がありません。
60歳になるとさらにきつくなるのではという不安がいっぱいではありますが、やってみるしかありません。57歳からチャレンジしたジャンピング、2ステップでしたが、ここまでやってきたからこそ分かったことも多かったです。
目標は「70歳で西村信紀に勝つ!」です。先日西村さんからも「約束ですので自分も頑張ります。」と連絡がありました。約束したわけじゃなくて私が勝手に言い出しただけだったんですけど、お互いそれが頑張るエネルギーになるのであればいいのかなと思ったりしています(笑)西村信紀のように投げたい!とあこがれた二流のピッチャーのたわごとに付き合ってもらってありがとうございます。
最高のピッチャーとは?
最高のピッチャーってどんなピッチャーでしょうね?打たれないピッチャーでしょうか?たぶんそうなんだと思います。打たれなければどんな投げ方でも、どんな球速でも、どんな回転をしていても問題はありません。打たれてしまえばどんな素晴らしいフォームをしていても、世界一速いボールを投げてもダメなんです。
でもそれぞれに「こんなピッチャーになりたい。」という理想のピッチャーがいますよね?私の中では西村信紀がこれまで見て来た中では一番すごいボールを投げていたし、こんな風にバッターを三振させたいなと思わせたピッチャーだったんです。
ソフトボール人生もそう長くないと思います。最後の最後にその理想の形にこだわって、少しでも近づけるようになりたいと頑張ってきた3年でした。まだまだ背中すらも見えていませんが、もう投げられなくなるまで私なりの挑戦は続けて行きます。
しかし二流が超一流に近づくのは簡単なことではありませんね(笑)