田中雄二先輩の訃報を、昔の仲間たちに連絡をしていました。するとどうしても昔話になってしまいます。その中で出てきた言葉が「戦友でしたね。」という言葉でした。
闘犬センターの最初は西村投手が出てきてからのように、勝って当たり前みたになことは無くて勝ったり負けたりのチームでした。振り返ってみるとその時期が一番大変だったけど、一番ソフトボールが楽しかった時期だったようにも思えます。
闘犬センターは仲良しが集まって作ったクラブチームではありませんでしたので、選手も社長が勝手に連れてくることもありました。ただチームの中心にいる連中は仲良しでしたし、その連中に気に入られないと居心地の悪いことになって、いつの間にかいなくなっている選手もいました。
闘犬カラーに合う選手(ちょっと変わってないとダメです。)か、もしくは圧倒的な実力を持っている選手じゃないと、闘犬センターにはいられなかったんです。
田中さんは高校生の時から知り合いだった私が引き入れました。高知に帰ってくるんだったら一緒にやりましょうです。そう評判の良くなかった闘犬センターに、教員を目指して帰ってくる人が良く入ってくれたものだと思います。
田中さんは闘犬センターには無くてはならない選手でした。レフト平松、センター杉本、ライト田中と並んだ外野は、なかなか抜けない外野陣でピッチャーとしては安心して投げることが出来ました。抜けたか思った当たりでも簡単に捕ってくれましたね。ありがとうございました。
昨夜も葬儀・告別式の報告や届いていたメール等への返信をしていたら、10月3日は社長の命日じゃない?って聞いてきた人がいました。そういえばと思って確認すると、10月3日は闘犬センターの社長の命日でした。
なんという奇遇でしょう。もう二人は再会しているんでしょうか?そしてどんな話しをしているんでしょうね?あんなことがあったのう、こんなこともあったのうってしゃべっているんでしょうか?
ずいぶん昔初代監督の田中則夫さんが、コーチが亡くなった時に「良い人から先に逝く。」と言っていたことを思い出しました。そしてそんなことがあったと先輩に言うと「お前は長生きすらあや!」と言われてしまいました。こんなに人のお世話が出来る人間に、よくもそんなことが言えるものです(笑)
言われる意味も分からないではありませんので、長生きしてみんなをしっかり送ってから、私はみんなのところに逝くようにしたいと思います。その代わり私が生きているうちは、いろんな秘密や悪口を書かれることは覚悟しておいてくださいね(笑)