昨日(9月29日)の昼過ぎ、携帯電話が鳴りました。相手は田中雄二先輩でした。「お前にプレゼントというか、渡したいものがあるので行く。」というのです。何をくれるんだろうとドキドキしながら待っていたら、到着したとの連絡があり紙袋を渡されました。
懐かしい!!!
何だろうと中を覗き込むと、何やら赤い布が見えました。「ん、これは?」「おいおい、こんなものまだ持っていた人がいたんだ。」それは今はなき闘犬センターが始めて作ったおそろいのジャンバーでした。それまで薄いペラペラのジャンバーみたいなものはありましたが、ちゃんとチーム名を入れて揃えたものはなかったんです。県予選を抜けて四国大会や全国大会に行けるようにもなってきたので、ジャンバー(グランドコート)くらい揃えようとなって、初めて作ったジャンバーでした。
その懐かしいジャンバーがまだあったんです。驚きました。さすがの私もその存在を忘れていたくらいです。先輩が押し入れの中を整理していたら出てきたそうです。それで私に渡そうと思ったそうです。私のジャンバーは、とっくの昔に人にあげてしまったのでありません。それ以外の闘犬センターのユニフォームなどは、闘犬を辞める時に社長宛に段ボールに入れて送りつけたので残っていません(笑)まあそうしないと辞められなかったんですけどね。話し合いに行くと上手く丸め込まれて辞められなくなるのは分かっていたので、一方的に送りつけて終りにしました。後で相当悪く言われましたけど、結局何年後かに引き戻されましたので、チャラです。
持ってきた田中雄二先輩と、このジャンバー1枚でたくさんの思い出を話すことが出来ました。それだけ長くやりましたし、たくさんの出来事があった闘犬センターでした。
使いづらいジャンバーでした。
このジャンバー、それまでのダサいジャンバーとは違って、まあまあのデザインだと当時は思って着ていました。ただ使いづらいところがあったんです。左下にナンバーが刺繍で入っていたんですが、ポケットも一緒に縫い付けられていてポケットが3分の1くらいしか使えないようになっていました。オイオイ、なんでこんなところにナンバーを、それも刺繍で入れたんだ!と大不評!!!
私は作ったスポーツ店に持ち込んで、ポケットが全部使えるようにナンバーの位置を変えてもらいましたが、そのままの人も多かったようです。考えたら分かりそうなもんですけどね。
それとこのジャンバーの時代、闘犬センターの評判は良くありませんでした。(ずっとか(笑))なので夜で歩く(飲みに出る時に着て行ったこともありました。)には、前のボタンは止めずに胸の闘犬センターの文字が見えないようにして歩いていました。変にからまれてもイヤだからということでした。
ユニフォームの思い出
闘犬は「赤」です。いつの間にか「赤」になってました。一番最初のユニフォームは上下「黒」だったのが、2着目で上下「赤」になり、1試合だけ「白」があったんですが負けてしまって、縁起が悪いと二度と着ることはありませんでした。そして次に最初のユニフォームの下と2番目のユニフォームの上を着る「赤黒」の時代があって、その後みなさんが闘犬カラーと思っているユニフォームに変化して行きます。
闘犬センターが始めて総合選手権に勝って「日本一」になる頃、ユニフォームは上下2種類ありました。上が胴体が赤で袖が白とその逆、下は赤と白。この組み合わせで、朝「今日は赤白で行く。」とか「今日は白赤。」とかが言われる感じで、バッグの中はいっぱいって感じでした。その日の気分でユニフォームの色を決めていたんです。
そのうちメッシュ素材のユニフォームが流行りだし、夏はメッシュ(これは胴体赤袖白しかありませんでした。)冬は普通のユニフォームでとなりましたが、監督になった杉本さんの「重い!」という一言で、一年中メッシュで試合をすることになり、その後は上は赤(袖が白)、下が白というユニフォームに統一されることになりました。
マークの色やベルトの形(ベルトレスから始まり、外からは見えないけれどベルト有り、普通の形と変遷しました。)は変ったものの、いわゆる闘犬カラーが確立しました。
壮年・実年大会に行くと福島のチームが、闘犬カラーのユニフォームをいまだに着ていただいています。ありがたいことです。けど見るとドキッとしますし、以前どこかの大会でトイレですれ違った時には、一旦後ずさりしてしまいました。理由は未だに自分でも分りません(笑)
なんかたった1枚のジャンバーから、いろいろ思い出してしまうほど大変だった四半世紀でした。