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平成30年11月9日(金)に土佐土建新社屋落成と、弘瀬拓生先生の「鉄腕ソフトボール 弘瀬拓生 勝利への軌跡」出版記念をお祝いするパーティーが、高知県土佐市で開催されました。
土佐土建新社屋落成
声は大きいし、顔も怖い(笑)そんな有限会社土佐土建の代表取締役社長西村高さんは、当然土佐土建ソフトボールチームのオーナーでもあります。お金も出しますし、口も出すどころか勝手なことしか言いません。私たちはこのオーナーのおもちゃです(笑)
この日の挨拶も気遣いの西村高さんらしく、後の祝辞のこともあるので私の挨拶はお渡しした紙を読んでくれと言って1分ほどで終りました。
若い頃は近寄りたくもないほどやんちゃでしたし、まさかずっと敵であった私がこの人の元でソフトボールをすることになるとは思ってもみないことでした。
お父様の後を継いで社長になり、40歳を過ぎて出会った西村高さんは、なんと面倒見の良いお人よしな人になっていました。来年は60歳になりますから、もう20年近く一緒にソフトボールをやっていることになりますし、高知商業の後輩でも鴨田体育会の後輩でもないということを楯に、西村高さんに遠慮なく口をきかせてもらっています。
いつも怒った顔で、
「お前、俺に口言うたねや!」(お前、俺に文句(意見、反抗)したな!みたいな意味です。)
と言われてはいますが、それを許してくれるお人好しな一面を出してくれているのが、この西村高さんという人です。
このパーティーには県選出の衆議院議員と、参議院議員(全国区)、県会議員、市長、市会議員などが顔を揃えていました。たかが土佐市の土建屋の新社屋の落成に、このようなメンバーがぞろぞろ集まると言うこと自体がすごいことだと感心しながら、パーティーに参加していました。
何かあると、あれせえ!これせえ!と仕事もいっぱいおおせつかりますし、片や壮年の若い者ではオーナーが怖くて(わがまま過ぎて)言いたいことが全く言えないので、山崎さんお願いしますって言われるので、これからも口は言わせていただきますね。
まだまだ元気で、会社もソフトボールも頑張って下さい。おめでとうございました。
この人に歴史あり
これも西村高さんの優しさがやらせたことですが、弘瀬拓生先生(今は先生は退職されて、土佐土建で仕事をされています。)が本を出版したということで、一緒にお祝いをするぞということになったようです。
この日のお返しは土佐土建から災害時に役立つようにという意味でラジオと、弘瀬拓生先生の本でした。
弘瀬拓生先生は祝辞、乾杯の後、長い時間出席者の求めに応じて、自分の本にサインをしていました。
この本の中には弘瀬拓生先生がどこでソフトボールと出会い、どういう経緯をたどって現在に至っているかが書かれています。私の知らなかったこともたくさん書かれていましたし、やはり最初から上手く行ったわけではなくて、こつこつやり続けることや失敗から学ぶことで、最後大きなご褒美を手に入れることが出来たということのようです。
なぜ60歳を過ぎてもまだあんなことがやれるのか、なんであそこまでこだわれるのかという疑問はこの本を読むと少し理解できるような気がします。
この本の出版が高知新聞に紹介されました。
「一生お前に祟る。」
私の所属していた闘犬センターオーナー故弘瀬勝氏の言葉として紹介され、文中にも書かれている言葉です。
この新聞記事をを見た故人の奥さんから、私に夜中電話がかかってきました。久しぶりの電話でしたので、慌てて出たら奥さんから出た言葉は
「ヒロシ君、弘瀬さんはなんであんなことを書くがやろうね?」
という一言ででした。故人の家族としては今になって故人を悪者にした書籍が出版されることは本意ではない。まして鴨田体育会を離れてからは全日本にも参加させたり、高知県ソフトボール協会の会長としてバックアップもして来たということも言いたかったんだろうと思います。
この本に出て来ている言葉がどのような状況で交わされたのかは、当人同士しか分かりません。片方はすでに亡くなっていて死人に口なしという状況は不公平だと言いたかったんでしょう。
言われた方は覚えていても、言った方は忘れているってこと多いです。またどういうつもりや意味で言ったかは、その立場や状況によって大きく変わってくるものです。
ソホトボールのボールのように物理的に形のあるものは、たぶん誰が見てもソフトボールに見えると思います。
ただ形のない言葉や概念、気持ちなどというものは、それを言ったり聞いたりする人間の立場やその時の環境、感情によって違ってくるものだと思います。
人間の目は自分の都合の良いように見るように出来ているそうです。耳も自分の都合の良いように聞く、都合の良いことだけ聞くようになっていて、記憶としてとどめておくのにも自分の都合のよいような記憶にすることができるようです。
・・・つもりとか・・・という気持ちなんてものは、それぞれの言い方、受取り方でどうにでも違って伝わったり、受け取られたりするものです。
まして人の記憶なんてどんどんなくなって行くものです。今現役で日本リーグでバリバリやっている選手でも、もう闘犬センターなんて名前知らないんですから。
長い50年の弘瀬拓生先生のソフトボール人生を、たった190ページにまとめること自体が無理なことで、その中で起こったことを整理して、本にするとこうなったということだと思います。全部書いてらいったい何ページになるんでしょう(笑)そんな本読みたくないですよね。
この本1,300円+消費税です。プレゼントするために自費出版した訳じゃないんです。売れないと困るんですよね。そのためにはマーケティングも必要になります。弘瀬拓生先生をブランディングする必要もあります。
本を読んでもらったら分かりますが、この本の全編が弘瀬拓生先生対故弘瀬勝で書かれているわけではなくて、あくまでも弘瀬拓生先生の50年のソフトボールについて書かれています。その中で起こった一つの大きな出会いと確執であり、あとから思えばこれも弘瀬拓生先生を成長させた大きなエネルギーになったと思うのは私だけでしょうか。
この時代を知る高知県内のソフトボールファンの多くは、アンチ闘犬センターでした。それほど闘犬センターは嫌われていたんです(笑)そんな人にこの本を買ってもらうには、弘瀬拓生先生対闘犬センターという構図はもってこいの構図ですよね。弘瀬勝=悪は絶好のパターンです。
一番長く闘犬センターにいた私が知る弘瀬勝という人は、恐い人を演じてしましたが、実は寂しがり屋で、人を責めてもちゃんと逃げ道を作っておいて責めるような人でした。ただその逃げ道が自分の都合のよい方向にしか向いていないという勝手さはありましたし、個人事業主という特徴でもありますが、まあわがままで子どもみたいなところのある人でした。
弘瀬勝の全てが悪なんてことはまったくなくて、社長に世話になった人は高知県庁にも高知市役所にもたくさんいました。声が大きいだけで、お役人が動くなんてことはないんです。何か持ちつ持たれつみたいな関係が成立していたんだと思いますが、社長が何もしゃべらずに逝ってしまったので、私は詳しいことは知りません。これは余談でした。
この本を出版するにあたってお世話になったと書かれている、高知新聞の掛水という人の存在も関係しているような気もします。この人は県外から選手を集めてきて勝ちまくる明徳義塾高校を褒める記事を書いたりする人でしたから、県内の有望な選手を集めて勝ち続ける岡豊高校の弘瀬拓生先生に興味を持ってもおかしくないと思います。
明徳義塾の選手も一生懸命野球をやって、予選に勝って甲子園に行くわけですし、部内の競争も厳しくて相当な努力の結果レギュラーになって、背番号をもらっているはずです。そのことをを認めない高知県民はいないと思いますが、毎年毎年明徳義塾だけが甲子園に行く。ベンチ入りのメンバーには高知県人は誰もいないとなると、それを面白くないとする古くからの高知県内の高校野球ファンは、「明徳嫌い!馬淵嫌い!」と言ってしまいます(笑)
弘瀬拓生先生もこの本の中にある全国大会を連覇している時代に、県内の他の高校の指導者から反発されていたことがありました。良い選手は全部岡豊に集めるみたいに思われていたようです。
子どもたちは子どもたちで、強い高校でやりたい。選抜、インターハイ、国体に行きたいと思うのが普通ですよね。すると力のある子どもは「岡豊に行く。」と言って集まってきても不思議ではありません。
ただポジションはDHを加えてても10しかないわけで、何でもかんでも岡豊に集めるのはどう?みたいな感じになっていたのではないかと思います。私は教員ではありませんので、実際にその現場に居合わせたこともありませんし、そのような不満の声を聞いた記憶がある程度ですが、高校のソフトボールの指導者に弘瀬拓生先生の言動に対して不満を持っていた先生はいたんじゃないでしょうか。
明徳義塾の馬淵監督も明徳義塾の卒業生に聞くと、とても面倒見の良い先生で悪く言うのを聞いたことがありません。弘瀬拓生先生もこの本を読んで行くと、これほどまでに生徒のことを考え強くるなる環境を整備して、実際に何度も優勝させていますので、誰に文句を言われる筋合いもないように思います。言うんだったらそこまでやってみろです。
ただどこにも敵はいてやっかみが生まれ、どうも誤解をされる言動があるのも、この二人の共通点なのかもしれません(笑)またこれくらいの実績を残している指導者は、誤解されようがどうしいうがやり切るって人が多いようにも思います。
高知新聞の掛水さんは、こんな人が好きなんでしょうね。やっぱりこの人もちょっと変わっているんじゃないでしょうか?(笑)
この本を読んで始めて知る弘瀬拓生先生も多いです。ほぼ同じ時代に生きて、同じ時代にソフトボールをやりましたが、全部を知っているわけではありません。
私は闘犬センター側にずっといましたが、その場に居合わせてないことは分からないことも多いです。本を読んでいても、自分の記憶と時間やシチュエーションが微妙に違っていることもいくつかありました。どちらが正しいのか、それとも両方とも間違っているのか?
歴史の検証本という事ではないと思うので、この中の何ページに書かれているここは事実と違っていると、いちいち目くじらを立てる必要はないような気がします。あくまでも弘瀬拓生先生の記憶と記録と実績をベースに、自らの50年のソフトボール人生を振り返ってみた本という位置づけいいと思います。
それをどう読んで、どう感じるかは読んだ人にゆだねるしかないでしょう。WEBでブログを書いたり、本を出版するということは、それに対して反論や批判が出ることは覚悟の上だと思います。ただこれだけのこだわりを長い期間持ち続けられる人は、そうはいないということは間違いありません。
私に言わせれば、弘瀬拓生はやっぱり普通じゃない。だいぶんおかしい人です(笑)
ブログも元々は私が始めたのを見てやり始めました。YouTubeもそうです。最初は私の動画を撮影したら編集してくれていましたが、最近はさっさと自分のYouTubeにアップして、
「やっぱり山崎浩誌は人気があるきね。あっという間に1300超えた。」
と閲覧数を教えてくれます(笑)おかげで私の動画がななかなアップ出来なくなってしまっています。
本もこれだけ紹介しましたので、きっと問い合わせも増えることだと思います。今度美味しいハラミでもおごってくださいね(笑)