私が高校2年生の時、佐賀国体の補強選手として中村高校主体の少年男子チームに参加した時から、もう44年もお付き合いいただいている田中雄二先輩の
還暦祝い
が、田中雄二先輩が高校女子の指導を始めた高知県立高知南高校のソフトボール部(第1期~第3期)までの教え子たちによって開催されました。
学校自体が開校間もない時期であったのと、高知県の女子ソフトボール人口の少なさが相まって、創部当時のソフトボール部には経験者も少なく、今となっては楽しい思い出話となるエピソードを持った連中の集まりになりました(笑)
投げ方から教えないといけない者、そもそもソフトボールとはどんなスポーツなのか、打ったらどっちに走ればいいのかという、私たちには思ってもみないことから教えないといけないチームでした。
私もそんなチームを見るのが楽しみで、会社を抜け出しては南高校のグランドにお手伝いに行っていました。
高知の高校男子は長く日本のトップレベルにありましたが、何故か女子のレベルは低く、この素人軍団が県内でそこそこの成績を上げるまで、そんなに長い時間は必要ではありませんでした。
田中雄二先輩が粘り強く指導を続けたおかげでもありますが、この素人の生徒たちが辞めずに続けてくれたおかげでもあります。
グランドに行くと普段闘犬センターの試合では見たこともない田中雄二先輩の怒った顔と声が聞こえてきます。
闘犬センターの試合では私がいつも怒鳴っていたりで、田中雄二先輩は常に平常心でプレーをするタイプでした。しかしこの高校の指導現場では立場が全く反対になっていました。
まあ私はたまに行ってちょこちょこお手伝いしたり、アドバイスしたりするだけの無責任な立場なので腹がたつこともありません。毎日同じことを言い続け、昨日言ったことが今日出来ないを繰り返していると腹が立つようです(笑)
「どうしてそんなに怒りゆうが?」(怒っているんですか?)
と聞くと
「昨日も一昨日も同じことを言うたがぞ。そしたら今日も同じことをやる、腹も立つろうが。」(腹も立つだろう。)
という答が返ってきて、なるほど!って思ったことでした。
ただこの怒っている時にそれを聞いている選手たちが、ポカンとしていることに気がついたんです。あんなに必死な顔で怒っているのに、選手たちは聞いているのか聞いていないのか分からい感じでした。ポカンとしている選手に、
「どうしゆう?」(どうしている?)
「田中先生、何言いゆうか分からんもん。」(何を言っているのか分かりません。)
そうなんです。この高知南高校のある場所は高知市です。選手たちはほぼ高知市周辺の子どもたちばかりでした。一方田中雄二先輩の出身は高知県大方町(現黒潮町)で、幡多という地域にあります。
同じ高知県ではありますが、言葉が少し違います。普段は気をつけて喋っていても、興奮して怒っている時はバリバリの幡多弁になっています(笑)
まあだいたいのニュアンスは伝わっているんだと思いますが、生徒たちにとっては怒られていることは分かってても、何を言っているのかはきちんと伝わらなかったようです。生徒たちは
「またユウジが怒りゆう。」
くらいの感覚で、受流していたようです(笑)
田中雄二先輩も30歳前の若い頃でしたし、この還暦祝いに参加した第1期~第3期(特に1期と2期)だけが、田中雄二先輩を裏で「ユウジ」と読んでいたような感じです。
そんな素敵な関係の仲間が集まって、田中雄二先輩の還暦を祝ってくれました。
先輩、還暦おめでとうございます!
古来人生は60年で一回りで、60歳以降はおまけとされていました。生活や医療が良くなったせいで平均寿命がどんどん延びて、いまや60歳ではまだまだ若造という時代にはなりましたが、これからの人生はこれまで頑張ってきたご褒美だと思って、楽しい生活をしてもらいたいと思います。
実は田中雄二先輩はこのところ体調があまり良くなくて、この還暦祝いの開催も年始めには提案していたものの延び延びになっていました。このところ体調も落ち着いているとのことで、今回の開催となりました。
看護師になった教え子から
「笑うことで免疫が上ります。いっぱい笑って元気に過ごしてください。」
というメッセージもありました。
楽しい昔話に笑顔と笑い声があふれていましたので、しばらくは元気で頑張ってくれることいでしょう。