作ったのは今から40年前。西村信紀という日本のエースの登場によってピッチャーが出来なくなり、野手しかやるところがなくなった私が作ったファーストミットでした。ミズノ社のスペシャルオーダーだったはずです。当時阪急ブレーブスの助っ人だったブーマーモデルです。
まさかこのミットを40年も使い続けることになるとは、私もミット自身も思っていなかったことです。使用頻度が少なかった時期もありましたが、ここ最近はかなり手荒い使い方をしてきていましたので、あちこちが破損してきていました。一度紐を全部変えてよみがえった使い心地も、最近はヨレヨレになっても来ていました。もうそろそろ限界かな?と思っていましたが、なんとここに救いの神が現れました。
持つべきものは友
弘瀬先生の力のあるボールを受け続けたミットは、ウエブの革が破れミットの淵の革も擦り切れてしまっていました。きちんとした手入れもあまりしてこなかったこともありますが、40年も使えるミットってあるんでしょうか?革もさすがに朽ちてくると思いますし、本当にもう限界が近いと感じて使っていました。
Youtubeでピッチングの様子を見ていてくれている方から「シーズンが終わったら一度見せてください。」と連絡がありました。画像に映るあまりにも可哀想なミットを見ていて、居ても立っても居られないようになったんでしょうね。
その方はミズノ社にお勤めで若い頃はご自身もソフトボーラーで、私とも対戦したことがある方です。お話しをさせていただくようになったのは年を取ってからですが、同い年ということもあって最近は昔話で盛り上がることが多いです。
せっかくのお声がけでしたので「これはもう直せません。」と言われても仕方ないと諦め半分で送ってみることにしました。まさか帰ってくると思ってなかったので、その時の写真を残してなかったことを後悔しています。そうなんです、思いっきり若返ってミットが帰って来たんです。
修理後交換前のボロボロになったウエブが戻って来ましたので、見ていただきます。
まるで若者です。
帰ってきたミットは「ん、これは?」と思うほど若返っていました。曲がっていた背中がピシッと伸びて、ふにゃふにゃだった皮膚(革)も張りが戻っていました。やはり本職が直すとここまで復活するんだと感心しました。
お礼の連絡には「これだと私より長生きしそうです。」と若返ることがない自分の身体とは違って、見事に再生したミットの感想を私なりの言葉で表現させてもらいました。私のソフトボーラーとしての寿命は残り7年(70歳で西村信紀に勝つ!が目標ですので、70歳までで十分なんです。)ですが、今回修理していただいたミットの状態を見ると7年以上使えそうな感じです。
それでは若返った私のミットをご覧いただきましょう。
どうでしょうか?買いたての新しいミットのような硬さになってますので、しばらく慣らしをしないと以前のような収まりにはならないと思いますが、これで弘瀬先生のどんな変化球も安心して受けられると思います。
やはり良いものを使おう
一般になってから道具はほぼすべてオーダーという環境でソフトボール出来たのが有難かったわけですが、この環境がすごく複雑で大変だったんです。でもそのお陰でいろんなところにも行けたし、多くのタイトルにも恵まれたのも事実。でも多くの方とも知り合えても、若い頃は態度も悪くて、全部が闘いだと突っ張っていたために仲良くなるなんてことはなかったものが、年を取ってちょっと丸くなり、普通に話せる人になりつつあります(笑)
今回お世話になったミズノ社の同級生もその中の一人ですし、情報によると修理していただいたマイスターも同い年なんだそうです。そのマイスターも若い頃に私たちのチームの勝手なオーダーに苦慮している先輩たちを見ていた方かもしれません。
しかし良いものは大切に使えば長持ちします。そして修理をして若返ることも可能なんだと思います。新しいものも確かに良いですが、もし皆さんの手元に修理すればまだまだ使えそうな道具があれば、一度スポーツ店に持ち込んで修理できないか相談してみてはどうでしょうか?特にお年寄りのプレーヤーには手になじんだ道具が良いと思いますよ。