平成元年に北海道で開催された思い出の国体会場に、28年振りに行って来ました。
思い出深いはまなす国体
平成元年に石狩市(当時は石狩町)で開催されたはまなす国体成年男子ソフトボールは、数ある国体優勝の中でも思い出深い国体の一つです。
というのもこの前年に闘犬センターは選手の二重登録という問題を引き起こして、そのペナルティーとして1年間の出場停止という処分を受けていて、日本ソフトボール協会主管の大会には出場することが出来なくなっていました。
国体は日本体育協会主管の大会で、処分中の身でありながら国体だけは出場出来たといういわくつきの大会でした。
我々としてはこの国体だけに集中してソフトボールをやればよかったので、体力的にも精神的にも楽な部分もありました。
試合の方は毎試合西村投手がホームランを打たれて先制されるという苦しい戦いではありましたが、何とか優勝することが出来て、面目躍如という形でこのはまなす国体を終えることが出来たからこそ、このはまなす国体が嬉しい思い出として残っているんだと思います。
以前実年の全日本大会で北海道には来ていますが、会場が倶知安でしたのでこの会場を訪れることは出来ませんでした。
さらに昨年シニアの全日本大会が、このこはまなす国体記念市民スポーツ広場で開催されました。応援について行って懐かしい国体会場を見てやろうと画策していましたが、会社の行事とダブってしまって断念していました。
どっちを向いても雪、雪、雪
出張で旭川に行くことが決まり、帰りの飛行機を新千歳空港からにして、これまでどうしても行くことが出来なかった思い出のはまなす国体会場を訪れることにしました。
旭川に入るとそこはどっちを向いても雪、雪、雪でした。
高知生まれ、高知育ちの私には何度か行ったスキー以外では、このような光景を見ることはありません。ましてそこは街中が雪なんです。
用事を済ませて14時の札幌行きの特急列車に乗りました。途中吹雪いていて視界が悪く電車も少し遅れて札幌に到着して、電車を乗り継いで会場に一番近いと思われる駅まで行きました。
そこで問題発生です。
グーグルマップで確認した時には確かに停まっていたタクシーの姿がありません。タクシー乗り場を示す看板はありましたが、人影もなくタクシーもいなかったのです。
ハタと困ったのですが、ここに立っていたら凍え死にそうでしたし(笑)、何の解決にもならないと思って、道路を歩いて行っていました。
そこに駅の構内に1台タクシーが入ってくるではありませんか。慌てて駅に戻ってそのタクシーに乗り込み、
「はまなす国体記念市民スポーツ広場へお願いします。」
と言うと、
「今は雪だらけで行っても人もいないし、グランドも閉鎖されているんじゃないでしょうか。」
と言われましたが、せっかくここまで来たので、中に入れなくても行ってみたいとお願いしました。
国体に出場していたこと、そこに参加選手の名前が刻まれた記念碑があること、高知から来たことなどを説明しながら会場に向かいました。
行ってみたら・・・
札幌に着いたころは青空だったのが、電車が石狩市に近づくにしたがって曇天になり、雪が降って来ました。
タクシーに乗ったころからは、運転手さんの言葉を借りると
「雪と吹雪の真ん中」
くらいの激しい雪になってしまっていました。
時間も4時半近くになって薄暗くなっていましたし、これは本当に大丈夫かな?と思うような状況の中、タクシーは会場に到着しました。
ナイター用の照明が無ければ、ここがグランドであるかどうかも分かりません。しかし地元の運転手さんが
「ここがメイン球場のバックネット裏ですよ。」
というので車を止めてもらって、記念碑らしきものが立っているところまで行ってみようと試みました。
雪の下に何が埋まっているかも分からないですし、溝や穴が開いているかもしれないとは思いましたが、行けるところまで行ってみようと、グランドに突入してみました。
どこまで埋まるかな?と思った足もひざ下くらいで止まったので、あとは勢いと力とスピードで記念碑らしきもののところまで行きました。
回り込んでみるとそこにははまなす国体に参加した選手と役員の方々の名前が刻まれていました。
そして念願だった自分の名前もそこに刻まれているのを、自分の目で確かめることが出来ました。
写真を撮って目的は達成しましたので、長居は無用とまた雪の上を必死でタクシーまで帰って来ました。
そして元の駅まで帰ってもらう行程の中で、運転手さんから良かったですねと言ってもらいました。運転手さんによるとなかなかの条件が揃ったからこそ、あの記念碑の場所に行けたということでした。
一つは気温が低くて雪がしまっていたので、足が沈み込まずにあそこまで行けた。新雪だったら行けてないし、危険だったとも言われました。
二つ目は日没前で、まだ明るかったので時間的にもギリギリでしたねということ。
三つ目は雪は降っていたが、吹雪ということではなかったということ。
四つ目は私が南国育ちで、あの雪の中を進むというリスクを知らなかったこと。
五つ目は私に体力があったので、とりあえず馬力で記念碑まで行って帰ってきたこと。
最後はこの時期、あそにタクシーは普段いないんだそうです。
奇跡でしたが、運転手さんは雪のことを知らない高知の人間が、無謀なことをするなと心配しながら見ていたんでしょうね(笑)
このような条件が揃ってなかったら、ただ会場に行っただけで終ってしまってもおかしくない天候だったみたいですし、最悪の場合会場にすら行けてないという事態もあったということでした。
唯一の冬の訪問者?
これまで西村さんもこの会場に来たことがあるようです。前にこの記念碑の写真を見せてくれたことがありました。
杉本さんと弘瀬さんは昨年シニアの全日本大会でこの会場に来られて、ご自分の目でこの記念碑を見られています。
しかし彼らはソフトボールが出来る季節に来ていますので、この雪の会場に来たのは後にも先にも私だけということになりそうです。
こんな時期にここに来ようと考える変わり者は私くらいしかいないとも言えますね(笑)
皆さんはもしここに行こうと思ったら、こんな雪の季節に行ってはいけませんよ。
もう一つの忘れ物
もう一つ忘れ物がありました。
札幌の名所「時計台」を国体の時に見ていなかったんです。近くまでは行ったんですが、見つけられずに帰ってしまっていました。
国体会場から電車で札幌まで帰った私は、もう一つの忘れ物「時計台」を目指しました。今はスマホのマップ機能がありますから、見つけられないということはありません。
駅から外に出ると、ものすごい寒さでした。旭川の-9度よりも寒く感じます。人通りも少ないです。
徒歩5分というスマホの指示の通りに、急ぎ足で進んで行くとそこにライトアップされた時計台がありました。
これですべての忘れ物は手に入れました。
ここも長居は無用と、早々に札幌駅に引き返しました。この頃には耳がちぎれるほど痛いと感じる寒さになっていて、見つけた地下道に入りました。
するとそこには大勢の人が歩いていました。人通りがまばらだったのは、地元の人でも寒いのでみんな地下街に入っていただけでした(笑)
札幌滞在30分、新千歳空港に移動して東京に帰って来ました。
もう雪はお終いかと思ったら翌日は東京が雪の天気予報になりました。飛行機の遅延、欠航等も考えられるとANAからメールが来ていました。
高知に帰ることは出来るのでしょうか?(笑)