ウインドミル・ジャンピングへの挑戦【山崎浩誌】動画公開します。
NSABの商品をお買い上げいただいた方に、使用しての感想やご自分のソフトボールにどのような影響があったのかをお尋ねするメールをお送りしたところ、こんな感想をお送りいただきました。
ご購入者からの感想
DVDは、内容及びコストパフォーマンスに満足していますが、残念な点は高橋投手の凄みが伝えきれてないところです。なんとなく変化球のキレが悪いような気がしますし、シーズンイン前のまだウォーミングアップ段階の感じなのかな?という印象を受けました。
球速がどの程度出ているのかも知りたいところです。
変化球の握りの説明もありましが、いかんせんフォームにスピードがあるので確認するのが難しくもありました。
ただし、基本的には大満足でして繰り返し見ています!
次は、山崎さんか弘瀬さんのDVDも欲しいです。
チューブは、シーズンオフより本格的に使用を開始し、ピッチングをしなかった日に週3回程度トレーニングしています。
前後左右の角度から目一杯の距離で50回セット計300~400回を実施してきました。腕を体の後ろ側にしたりして、無理な位置で腕(肩)を鍛えたりしています。球速は測っていませんが、たしかにボールが速くなっていると思います。特にシャドウピッチングの要領での腕振りスピードが速くなった実感がありますので、シーズンオフには最適なアイテムかと思います。
最後になりますが、我々ソフトボールフリークをワクワクさせるような商品展開、活動をご期待しています!
貴重なご意見ありがとうございました。参考にさせていただき、皆さんのご期待以上のものを提供できるよう頑張ります。
ということでもなかったのですが、今回私【山崎浩誌】のピッチングの様子を動画に収め、弘瀬拓生先生にコメントと最後は指導していただきました。動画の中でも話していますが、私は55歳からジャンピングへの挑戦を始めました。
ピッチャーとしての経歴
動画を見ていただく前に、その経緯をお話ししておきたいと思います。
私は高校になってからソフトボールを始め、高校1年の秋1年先輩のピッチャーの故障から急遽ピッチャーになりました。私のウインドミルの先生はその1年先輩のピッチャーと、日本体育大学で故下奥先生から授業でウインドミルを習ったハンドボールの教員でした。
「肘を伸ばして手のひらを外に向けて腕を回せ」ほぼ基本はこれだけでした。大きな円を描く腕の回し方だけを教わったということですね。ですから球種はストレートだけになってしまいます。ボールは縦回転していましたので、時には少し沈むことはありましたが、この投げ方以外知りませんでしたので、ドロップはおろかライズボールなど全く投げられないピッチャーでした。
中学校は野球をやっていましたが、小学校ではソフトボールをやりました。そこでピッチャーも経験していました。けれどこの時代の投げ方と言えば「スリングショット」だけでしたので、当然スリングショットで投げていたわけです。これが実は今になっても私の投げ方の基本になっているんですね。
さて高校を卒業して縁があって「闘犬センター」に入部してソフトボールを続けることになったわけですが、この闘犬センター時代に私がピッチャーをやっていたことを知っている方は、相当古い方になってしまいました。
後に日本を代表するピッチャーになる「西村信紀投手」が入部してきてからは、ピッチャーとして登板する機会を失いましたので、闘犬センターと言えば西村というイメージが強いと思います。
この当たりの詳しいことは、「まぐまぐ」で発行していましたメールマガジン「ソフトボール日本一への道」や「アメブロ」の「ソフトボールを愛する人にお届けするブログ」をご覧いただけたらと思います。
西村投手の足元にも及ばない私ですが、日本リーグで最初に完全試合を達成したのは私です。そして私が唯一他人に誇れる記録が「日本リーグの最少投球数57球」と「一般男子(現全日本総合)最少投球数59球」の二つです。
ただどれも狙ってやった記録ではなくて、終ってみたら結果がそうだっただけなんです。西村信紀投手のように狙って完全試合ができるようなピッチャーではありませんでした。
今の飛ぶボールとバットでは「打たせてとる」というようなピッチングは難しい時代になりましたので、ずっと残る記録になるのではないかと期待はしています(笑)
「打たせてとる」と書くと格好良いですが、言い換えると「三振をとるボールがない」とも言えます。空振りをさせられるようなキレのあるストレートはなく、さらにこの頃投げていた変化球(ライスとドロップ)もバットの芯をはずすくらいの変化でしかありませんでした。唯一追い込んで勝負出来るボールとしたら、当時はあまり投げられていなかったチェンジアップでした。
群馬の岡先生からいただいた、ニュージランドの「ハリヒー投手」のチェンジアップの投げ方を参考に身に付けたものでした。今では小学生でも投げられるチェンジアップですが、この頃はあまり使いこなしているピッチャーはいなかったのが良かったですね。
あとコントロールは良かったですね。特に右バッターの外角はボール半分の出し入れが出来ていました。これが生命線だったと言ってもいいと思います。それとスピン量が少ない縦回転のボールでしたので、球質が重いということも特徴の一つでした。
バッターからすると打てそうなボールが来るんです。打ってみるとちょっと押し込まれる、ちょっと芯を外れる、コースにきちんと来ているので打球が野手の正面に飛ぶなどになりました。ですから1イニング5球とかで終わるんです。三振は1試合で1つか2つじゃなかったでしょうか。全部3球三振でも63球投げないといけないわけですから、三振をいっぱいとるピッチャーはどうしても投球数が多くなります。
私が唯一西村信紀投手に勝てることだったわけですが、やっぱりピッチャーをやっている以上ばったばったと三振をとってみたいんですね。私のピッチャーとしてのポジションをうばっていった西村信紀という人間は嫌いですが(笑)、あんなピッチングをしてみたいとずっと憧れているのも事実です。
けれどこれがどれだけ西村信紀投手の近くにいて、その技術を盗もうとしても超えられない大きな壁があるんですね。私たちが昔から言っていた「レベルが違うんじゃなくてラベルが違う」、モノが違うんっです。こればっかりはどうしようもない違いでした。
動画の中で弘瀬拓生先生が言ってくれていますが、私の今の目標は「70歳で西村信紀に勝つ」です(笑)このまま私が元気でソフトボールが続けれられて、そして西村信紀さんがもう投げられなくなっていることが条件になります。いくら私が練習しても、いくら西村信紀さんが練習しなくても投げられる状態であったら、これは勝負にならないのは明白なので、そうなったら75歳、80歳と先送りしていくしかなくなりますね(笑)
こんな歪んだ対抗意識も57歳になってジャンピングに挑戦している一つのモチベーションになっています。
ストレートとドロップ
長くなりましたので、弘瀬拓生先生解説の私のピッチングを見ていただきましょう。5回に分けてのご紹介になります。まずはストレートとドロップからになります。
いかがだったでしょうか。次回はライズボール編とこの動画を見た私の感想を中心にお届けします。お楽しみに!