10月29日(土)30日(日)は西日本シニア大会でした。場所は四万十市。県外だと行けないと判断したはずですが、ここだと宿泊もせず朝高知市を出発しての参加も可能ということもあって、この試合に向けて準備もしてきました。
抽選によって土曜日2試合、日曜日2試合の4試合(決勝戦まで行けば)が想定されましたので、まず勝つことを大前提とした戦い方を考えていました。そうです不安定な私が先発して失点を重ねてしまうと取り返しがつかないことになるので、まずは弘瀬先生が先発して相手に得点を与えないようにして、その間に得点を重ねて安全圏に入ったらすぐに私に交替して弘瀬先生を休ませる。
土曜日2試合を頑張って勝って、日曜日の準決勝のこれまで何どもシーソーゲームを繰り返してきた熊本のチームとの久し振りの再戦に臨もうと思っていました。
予定通りには行かなかった
1試合目が10時30分開始だったので高知市を7時出発で四万十市に向かいました。お天気は上々、気温が低いことを想定して二人ともしっかり着込んでいました。
久し振りに四万十市方向に走りましたので新しい道路も開通していたりで、予定よりちょっと早く到着しました。そしてアップです。やはり気温が上がってなくてなかなか身体が思うようには動いてくれません。それでも何とかなるだろうと思っていたんです。
先発メンバーについてはみんな同じ考えだったようで、特に打ち合わせもしませんでしたが先発弘瀬でいくことになっていました。トーナメントなんで負けたら終わり、ここはしっかりやらないとダメですよね。
私は試合後半での登板を予想してしっかりと準備をしました。セットからリリースまでのチェックポイントを確認、そしてゆっくり投げ始めました。一回しっかり作っておかないと試合途中には多くのボールは投げられないので、いつもより多くのボールを投げ込みました。するとどうでしょう、そこそこ良いボールが行くじゃなりませんか。そいて仕上げはストレート系、ライズボール、ドロップ、チェンジアップの4球で仕上げます。またこの4球が良くて、キャッチャーをしてくれていた先輩からも「ええぞ!」の声。後ろで見ていた(心配だったんでしょうね(笑))杉本さんからも「ええボールやん。」とお褒めの言葉をいただきました。あとはバッターが立って、このボールが投げられるかですね。
試合が始まりました。先攻でしたが無得点で始まりました。そして1回裏から予想もしていなかった試合展開になってしまいました。先頭バッターにセンター前ヒットを打たれ、次の奥バントをサード、ファースト(私)ピッチャー(弘瀬先生)の3人が全員一瞬止まってしまってセーフにしてしまいます。嫌~な展開ですね。そして3番バッターにセンターオーバーの2塁打を打たれていきなりの2失点。その後私のエラーにならないミスなどもあって結局初回4失点もしてしまうという、想定外の試合展開になってしまいました。
その後ランナーは出るものの送れずに無得点、ヒット性の当たりが相手のグラブに吸い込まれるといったことが続いて、良くない流れが続きました。弘瀬先生も立ち直って追加点は与えませんが、流れは相変わらず相手チームの方にあるって感じでした。
ずっと耐えてきていたんですが5回の裏に痛い追加点(2点)を奪われてしまいます。そして6回の表の攻撃に入った時にには制限時間(80分)が近くなっていましたので、この攻撃が最後の攻撃になることが分かっていました。
ここで反撃開始したんですが結局4点しか取れずに4-6で敗戦。考えてもいなかった初戦敗退です。ちょっと試合が始まった時に集中していなかったこと、弘瀬先生も久し振りの先発だったこと、会場が野球場で後ろにマウンドがあって、そこからホームベースに向けて傾斜があって少し下がっていたことで、投げたボールが思ったより高目に行ったことなど、もう少し丁寧に試合に入っておけば良かったと思いましたが、これも後の祭りです。
試合の様子は弘瀬先生のYoutubeチャンネルでご覧ください。
今日もここで投げ込み
1試合目で負けてしまったので四万十市滞在3時間半で高知に帰りました。勝っていても高知から通う予定でしたので移動距離は変わっていませんが、日曜日は四万十市で投げているはずだったのが、いつものグランドでのピッチングに変わってしまいました。
もう今年は試合の予定もありませんし距離もシニアの距離から普段投げている14.02mに戻しました。ボールも苦手なゴムボールから指にかかる感覚のある革ボールにしました。これで以前のような良い感覚の投げ方が出来ると思っていました。ところがそんな淡い希望はすぐに吹っ飛んでしまいました。
遠投、立ち投げはいつものように良かったんです。なぜこれと同じように投げられないんでしょうか?
距離が遠くなったことでボールがキャッチャーのミットに入るまでの時間が長くなります。まずこの感覚でおかしくなります。「遅いんじゃない?」動画を見てもらうと分かりますが、入りの球速表示はいつもとそんなに変わっていないんです。でも自分では「あれ遅い?」って思っているんです。ここからどんどん狂いが生じてきました。
そしてボールの違いです。やはり身体や手がゴムボールを投げるようにアジャストしていたんでしょう。革ボールを投げる時にゴムボールを投げるようにしてしまうと、やはりちょっと感覚が違うのとちょっと重いんです。その分腕の力を多く使ってしまったようです。
腕の力なんかそんなに長続きするものではありませんから、途中からどんどん球速が落ちていきました。どんなに頑張っても90キロが出ないという体たらくです。指にもまったくかかっていませんでした。
この日は弘瀬先生は投げないと思っていたので(実際は最後40球投げたんですが)私がずっと投げ続けようと思っていました。結局124球投げたんですが、途中このままではどうしようもないと思って、一度頭の中と身体の動きをリセットしてドロップを投げてみることにしました。こうするとボールを前で放そうとしますし、リストを最後に返そうという動きが入るのでこれまでの経験だと革ボールなら初速が上がると思っていました。
するとちょっと良くなりました。指にかかる感覚も出てきましたし、受けてくれている弘瀬先生からも「良い回転や!」の声が出るようになりました。気温も低いので身体が思ったようには動かないので、球速は上がらないままでしたがボール自体は良くなって終わりました。
それでは予定外の投げ込みの様子をご覧ください。
まだまだやることがいっぱい
そろそろ弘瀬先生が龍馬マラソンの準備に入るのと、気温が下がって思うように身体が動かないので今年の球速アップチャレンジは終了のようです。
来月は63歳になりますし、ここからどんどん球速が上がってくることは厳しいと思っています。しかし筋力、瞬発力、柔軟性、敏捷性が大幅に落ちたこの年齢で、今年も球速が上がっているということは投げ方、身体の使い方でもう少し何とかなるんじゃないかという希望もあります。
それは私に出来ていないことがいっぱいあるってことなんですが、私の能力的に出来ないこともあるんです。硬い身体や関節がいきなり柔らかくなることはないわけですから。それでも今の筋力を維持して、身体の使い方をもう少し改善して行くことでもう少し速いボールが投げられそうな感覚はあります。そして球速は変わらなくても、もっと指にかかったスピンの効いたボールが投げられそうな期待感はあるんです。
なので今後もコツコツ努力は続けて行きます。ソフトボールの神様は私に西村信紀さんのような身体とセンスは与えてくれませんでしたが、コツコツ続けるという能力は与えてくれました。でもどっちかと言うとあっちの方が良かったな!(笑)