11月8日(月)の雨を境に気温がぐっと下がってきました。最高気温も20度に届かなくなり、14日の最後の日曜日も年寄りには少し寒いくらいの気温になりそうです。そこでこの1年の挑戦を振り返ってみようかな?と思いました。
ただ投げるだけに専念した1年
去年から流行した新型コロナウィルスの関係で、コロナが落ち着かない限り今年は年明けから練習には参加しないと決めました。グループラインには「今年は休部します。」と宣言もして、俺を誘うなよ!と暗にプレッシャーをかけていました(笑)
それでも何もしない訳にもいかずランニングやトレーニングは続けていましたが、目的のないランニングやトレーニングには身が入りません。そんな中ほぼ同じ環境にあった弘瀬拓生先生から「投げんかえ?」とお誘いがありました。これはとてもありがたいお誘いになりました。
大人数が集まる練習には行きずらいんですが、二人で広いグランドで投げるだけなら新型コロナに感染するリスクは低いですし、練習時間も短くてすみます。さらにバッティングピッチャーや空いているポジションに入って守る時間もありません。自分のことだけをやればいいというわがままも許されます。
そんな幸せな日曜日のピッチングだけをやったのが、61歳の1年間です。
結果は出た?出なかった?
目標は「70歳で西村信紀に勝つ!」ですから、まだまだ結果は出ていません。しかし70歳までに自分の実力をアップして維持しておかないと戦えませんから、60歳から70歳までの10年間はとても大切な、そしてしんどい10年間になります。
今年は試合で投げることはないと想定していましたので、ただただ速いボールを投げるに専念することになりました。弘瀬拓生先生からも「何をやってもいいので速いボールを投げるようにしてみて。」と言われて投げていました。
そして夏に1回だけ100キロが出ましたが、なんだか消化不良です。本人的にはもっと出るはずと思っているんです。まして一緒に投げている弘瀬拓生先生が101キロを投げているわけですから、それは面白くありませんよね。
ただ1年間自分の投げているところを動画でずっと見ていると、自分の欠点もしっかり分かるようになりました。速いボールを投げるためにしなくてはいけないことが出来ていない。それも一つや二つではなくていっぱいあるんです。
考えようによってはそんなに出来ていないのに100キロ出るんだから、それが出来るようになればすごいことになるっても言えます。それが諦めずに続けられている理由かもしれません。
しかし冷静に第三者的な視線で見てみると「だからお前のボールは速くないんだ!」と言われているようなもんなんですね(笑)
肩甲骨が固い、胸郭が固くて広がらない、股関節が固い、ブラッシングが上手くない、指先にボールがかからない・・・知れば知るほど速いボールが投げられない理由が分かる。
これでは結果が出るわけがありません。
弘瀬拓生先生と山崎浩誌を比べてみた。
果てしなく遠い目標である西村信紀さんは置いておいて、身近な目標である弘瀬拓生先生と山崎浩誌を比べてみました。
見てすぐに分かることは腕のスイングスピードが弘瀬先生の方が速いってことです。単純にだから弘瀬先生の方が速いってことですね。腕を速く振るために身体をどう使って、どう止めて、どう投げるかの精度の違いです。
年齢は私の方が2歳と8カ月くらい若いです。勝っているのはそれくらいで、あとはすべて負けています。ああ身長と体重は私の方が高くて重いですね。
若い頃の最高スピードは弘瀬先生が115キロくらいで、私は計ったことがないんですが110キロくらいだったんじゃないかと思います。その頃は今みたいに安価で簡単に計れるスピードガンはなくて、とても高価で持っている人も少なかったので、私は計ったことがありませんでした。もう現役を終わってから岡豊高校で一度計ってもらった時に108キロが出たことがありますので、現役中も110キロが限界だったと思います。
球速へのこだわり
元全日本でトヨタ自動車で活躍された田中誠一先輩によると「ひろしが一番速かったのは高校の時。」と言ってくれます。それは田中先輩が高知商業の2年生で私が1年の秋のことでした。中村市(現四万十市)で開催された大会で強豪高知商業とお山の小規模校の大正高校(現四万十高校)が対戦しました。
常に全国大会に出て優勝争いをしていた高知商業に対して、いつも一回戦や二回戦で負けていた大正高校でしたから高知商業は負けるはずがないと思っていたと思います。少々なめていたところもあったはずです。それが試合をしてみると私の高校が勝ってしまったんです。田中先輩と対戦したのは一度きりだったので、たぶんその時のことを言っているんだとい思います。
その大会を優勝して自信をつけた私は2年生になった年の春季大会と秋季大会を優勝しました。当時高知県で高知商業、高知工業以外の郡部の高校が優勝するなんて考えられない時代でしたので、よく頑張ったと思います。ただ全国大会に行ける県体(インターハイ予選を兼ねる)と国体予選は中村高校が優勝してしますので、大事な試合には勝てなかったです。球種もストレートだけ、これじゃ無理ですよね(笑)
話しが横にそれました。年齢差はありますが元々115キロ投げていた弘瀬先生が現在101キロということは、今は若い時の約88%の力を維持していると言えます。一方私は若い頃が110キロで今が100キロなので91%となります。この計算で行くと弘瀬先生を超える102キロを出すためには93%の力が必要になります。
たった2%ですがされど2%です。この年になって能力を向上させるということはとてもしんどいことになります。
当面の目標は105キロなんです。若いころに一生懸命に投げて110キロだったやつが、62歳に105キロを投げるって大変なんです。こんなことやっているのは無謀なんです(笑)
2年ほど前に西村信紀さんが「110くらい簡単に出るでしょう!?」って言っていたことを思いだします。そのころ彼は簡単に120キロ近くを投げていました。元々130キロくらい投げていた彼には110キロは簡単なんです。
元々110キロしか投げていなかった者からすると、この年になって若い頃と同じ110キロを投げることは・・・ですよね(笑)
ただスピードガンも違っているし、投げ方や技術も違っているので、何とかそれに近い数字が出るように頑張っているんです。球速表示が速いだけでは試合には勝てないってことも分かっています。まして気にしているのは初速であって、いくら初速がは速くても集速が遅いボール(キレがない、伸びがない)では、バッターは速く感じません。
試合では初速110キロ、終速90キロのボールより初速95キロ、終速95キロ(こんなボールはあり得ませんが。)のボールの方がバッターには速く感じるはずです。出来れば最後はこの境地に至りたいものです(笑)