2020年3月3日(火)の高知新聞朝刊に2019年高知県スポーツ協会賞の受賞者が発表されていました。高知県のスポーツ振興に貢献のあった個人、団体に授与されるものですが、その中の指導育成賞に田中雄二先輩の名前がありました。
昨年61歳という若さでお亡くなりになってしまいましたが、これまでの功績が認められての受賞になりました。お世話いただいた協会、高体連の関係者の皆さんにお礼を申し上げます。
実はちょっと前に奥様から受賞が決まったと連絡をいただいておりました。「それは良かったですね。」と言ってはみたものの、まだまだいなくなったという実感が乏しい者としては、喜んでいいのか複雑な気持ちになりました。
奥様のところにはこの受賞をお世話してくれた丸の内高校の田村先生から連絡があったようです。奥様は「ありがとうございます。でも生きているうちにくれたら良かったに。」と文句を言ってしまったと笑っておられました。
私は「後輩の田村先生で良かったですね。私やったら早く逝くきいかんがよ!って逆に文句言われてますよ。」とお話しさせていただきました。
高知の女子ソフトボールへの貢献
中村高校、中京大学、闘犬センター、高知教員とプレーヤーとしての活躍がベースでしたが、なぜか高知では女子の指導が長くなりました。
というのも高知南高校に赴任して1年目は女子のバレーボール部の顧問をされていました。2年目にソフトボール部の顧問になったというので訪ねてみると、何と女子の顧問になっているではありませんか。
「なぜ女子なんですか?」
と聞くと
「○○先生が男子やる言うき。」(○○先生は先輩教員で、教員チームでソフトボールをされていました。)
「田中雄二を差し置いて男子やるって言うた?(笑)」
私としてはこの時点でJAPANで世界選手権にも行っている田中雄二先輩が男子のソフトボール部の顧問だろうと思っていました。まして高知の女子のソフトボールのレベルは男子とは大違いでした。言葉が悪くて申し訳ないですが、やりがいのあるところではないように思えました。まあ教員の世界の話しですので、私には分からないパワーバランスがあるんだと思います。
そんなことから始まった女子のソフトボールの指導でした。この時の高知南高校の女子ソフトボール部はと言うと、中学校での経験者が少し、あとは全くの素人の集団でした。中にはルールをまったく知らない生徒がいたりと、なかなか前途多難なスタートだったように記憶しています。
しかしこの高知県の女子ソフトボール界のレベルの低さが幸いすることもあります。ちょっとスパイスを加えるだけで高知県で勝てるチームが出来る可能性がありました。しかし遊び感覚やダイエット目的?と思えるような生徒のいるチームを、勝つことを目標とするチームに変貌させるのにはなかなかの苦労だったと思います。
こんなことから始まった女子ソフトボールとの関わりでしたが、早々に結果を残すようになり丸の内高校に転任後も女子ソフトボールに関わり続けることになりました。人生分からないものです。
田中雄二先輩が男子の指導をされていたら面白いチームを作ったと思います。同世代に一時代を創った弘瀬拓生先生がいますので、弘瀬対田中の対決が何度も繰り広げられたんじゃないかと思うと、見てみたかったなあと思わずにはいられません。
高校生だけではなくて都道府県対抗の全日本中学生女子大会の指導などにも関わられ、最後は体調が思わしくない中でも、日本ソフトボール協会の強化プロジェクトに参加もされていました。
本当にご苦労さまでした。この新聞記事を見た高知南高校の教え子から私に連絡がありました。みんな喜んでいるようですよ。良かったですね。
まんちゃん、見てますか?