1984年の世界選手権から30年経過したことを記念して、東京に集まって同窓会をしようと始まったこの集まりでしたが、なかなかそのメンバーだけでは試合も出来ずに、最初から助っ人の参加を得て開催された会でもありました。
2回目は杉本さんの還暦祝いを兼ねて、愛知県のトヨタ自働車での開催となりました。これで終りと言って始まるんですが、集まってソフトボールして飲んで楽しむと必ず「また集まりましょう。」となります(笑)
ということとで今回が本当に最後と昨年群馬に集合しました。元群馬教員の懐かしい方々との再会があったりして、また楽しい時間を過ごさせていただきました。これまで体調が良くなくて参加出来なかった(と聞いていた。)世界選手権の時の監督である岡先生も参加していただき、もう思い残すことはないと思ったことでした。心残りと言えば1回も勝てなくて終ってことでした(笑)
安堵の気持ちに浸りながら岡先生とお話しをしていたら、「社長が亡くなって何年になる?お墓参りに行きたいんだよな。」と衝撃的な言葉が発せられました。こんなことを思ってくれている人がいるんだです。実は私もお葬式以来お墓に行ったことがありません。昔話になってこんなことがあった、あんなことがあったと悪口を言うことはしょっちゅうですが、お墓に行こうなんて思ったことはなかったんです。ちょっと反省しました。いろいろありましたが、今こうやって昔の仲間と集まれて楽しくやれているのも闘犬センターがあってこそのことです。岡先生がそう言うのであれば、岡先生も参加してくれるのであれば次高知でやりましょうということになりますよね(笑)みんないつまで元気かも分からないのでやるなら来年、それで本当におしまいにしようということで今回の高知開催となりました。
言い出しっぺが不参加
主だったメンバーに10月11月の予定を確認しながら11月9日(土)に開催日を決定し、闘犬センターの後輩が監督をしているチームに対戦相手をお願いして承諾を得た段階で、参加予定者に開催を連絡しました。ちょっと先のことでもありなかなか出欠の連絡もボチボチしか入りません。そんな中衝撃的な連絡がありました。今回の高知開催を言い出した張本人が不参加だと連絡があったんです。
「おいおい、あんたが墓参りしたいって言い出してやることになったがやん。」
まあいろいろ事情もあるし、予定は未定なので仕方ありません。準備は進めてしまっていたので中止も出来ない状況でした。ある先輩に報告したら「やめや!」でした(笑)でもすでに飛行機を予約してホテルまで確保している人もいましたし、こちらもTシャツと帽子を発注済みでしたので、もう後戻りは出来ません。参加してくれる人たちで楽しくやろうと決めました。そしてどんなことがあっても、今回で最後と心に言い聞かせました(笑)
高知でやるなら闘犬カラーで
これまでの試合のTシャツがこんな感じになります。(1回目のやつが上手く表示されません。すみません。)
そして最後の高知開催のTシャツは、もちろん闘犬カラーです。なかなか作ってくれるところが見つからず諦めかけましたが、サミージャパンさんのご協力によってほぼイメージ通りのものが出来上がりました。ありがとうございました。
対戦相手は高知では唯一の女子クラブチーム(革ボール)の多門クラブさんにお願いしました。監督は闘犬センターOBの松浦和志さんです。先輩の依頼にイヤな顔一つせずOKしてくれました。本当にありがとうございました。
いざ試合
今回は高知開催であり年寄りばかりでは心もとないと思いましたので、闘犬センターOBに助っ人をお願いしました。なにせこれまで3連敗ですので、なんとか1勝してこの同窓会を終ろうと悪あがきしてしまいました(笑)しかしこの後輩たち、さすがに元JAPANです。頼りになりました。
先発ピッチャーは前回の群馬から参加してくれている元三菱重工名古屋の山本さんです。この方もピッチャーとして一世を風靡した方です。もう全盛期は過ぎた群馬国体で1度だけ対戦したことがありますが、手も足も出ないという素晴らしいピッチングをされた思い出があります。今回愛知から高知に来る途中で、現在リハビリを頑張っている西村信紀さんのところにお見舞いに寄っていただきました。どうしても山本さんが西村さんのお見舞いに行きたいと言っているということで連絡しておきましたが、予定の時間を大幅にオーバーしてソフトボール談義に花を咲かせたようです。とくに山本さんが西村さんのドロップの投げ方に興味をしめしたようで、「明日やってみます。」って帰ってと西村さんから報告がありました。何という探求心でしょう。
昨年も71歳とは思えない素晴らしい投球をされていましたが、72歳の今年はさらに素晴らしいボールを投げられていました。最初から4つ目までのアウトはすべて空振りの三振でした。きちんと自分の思うようにボールを動かして、バットにボールが当たらないようにされていました。やはり一流は死ぬまで一流なんだなあと実感させられました。当初3イニングと言われていましたが、調子が良かったからでしょうか、結局4イニング完封してマウンドを降りられました。昨年お風呂をご一緒した時に71歳とか思えない太ももの大きさに驚きましたが、今年はさらに進化されていました。凄いなあ!
多門クラブが守るときは革ボール、こちらが守る時はゴムボールという変則ルールでした。おじさんたちはしばらく革ボールでソフトボールをしたことがありません。しかしこのおじさんたちただ者ではないんです。昔取った杵柄とは良く言ったもので、上手に革ボールを扱っていきます。そして走攻守で言うと、年をとって衰えるのが脚です。なので走れない、守れないとはなるんですが、打つ方は結構昔のイメージが残るものなんです。
先取点は福岡からの助っ人権堂さんのタイムリーヒットででした。まだ先日の実年の大会で折れた指は完治していないというのに、素晴らしい当たりでした。大阪で私と深見さんに誘われ、無理やりの参加でしたが楽しんでもらえたでしょうか?ありがとうございました。
なんか打線のつながりも良く、7点も取ってしまいました。そして7回表に今回の同窓会最大の盛り上がりを向かえます。これまでの3試合とこの日の打席全部ノーヒットだった田中誠一さんが、ついにヒットを打つ瞬間が訪れました。世界選手権の首位打者を取ったこともあります。トヨタ自働車の絶対的一番打者として、グランドを走り回っていたプライドはズタズタになっていました。まして周りは口答えできない先輩や、口の悪い後輩だらけです。夜の宴会ではその無様な姿を酒の肴にされながらも、毎回欠かさず参加してくれてきた田中誠一さんが、レフト前にクリーンヒットを放ったんです。本人もガッツポーズでしたし、ベンチも大盛り上がりでした。おめでとうございます。
5回から山本さんの後をまかされた私も、固い内野の守りに助けられて無失点で試合を終えることが出来ました。72歳が4回を完璧に抑えているのに、59歳がボコボコ打たれたらどうしようと緊張感いっぱいの登板でしたが、何とかなりました(笑)
それでは試合の様子を写真でご紹介しますね。
またって言い始めました。
夜の懇親会も楽しかったです。Tシャツと帽子にお金がかかってしまったので、夜の方は少々狭くてしょぼい感じになってしまいました。すみません。前に行ったときはもう少しボリュームもあって良かったんですけど。
普通はこの夜の懇親会が一次会なんですが、我々の場合試合が一次会なので、これが二次会です(笑)あちらこちらでソフトボールの話しが飛び交っていましたし、いつものいじりがあったりと楽しい時間になりました。
遠くからこられてお疲れの方をお見送りして、いざ三次会です。こんなに楽しいとやばいことになってきます。そうです、「また会いましょう。」「またやりましょう。」って言い始めるんです。当日はみんな酔っているので、何を言っていたかは定かではありませんが、翌日から入ってくるメールやラインでは最後に必ず「また・・・・・・。」って入るようになります。こちらとしては「最後の最後って言うたよね。」と思ってしまいます。けれどこうなることも予想できました(笑)やっぱり楽しいんです。
「5年後くらいに。」と言ってきた人もいましたので、5年後山本さんの喜寿(77歳)のお祝いに愛知に集まってというのも良さそうです。山本さん、まだ元気で投げてそうです(笑)