「守破離」とは、いかなる道であれ師匠から教わった型を「守る」ことから修業が始まり、基本の型が身に付いたら次はそれを応用して自分に合った型を作る「破」の作業に移ります。そして最終的に型そのものから「離」れて、自由自在の境地に解き放たれるという、人間の成長プロセスのことを言うようです。
どうも私の進んでいる道も、この「守破離」というプロセスを完成させないといけないようです。
まだまだ「守」に至らず
私の今進んでいる道は「70歳で西村信紀に勝つ!」という最終目標に向けて、まずボールのスピードを上げるということをやっています。師匠はその仮想敵である西村信紀さんです(笑)日本で一番ボールをスピンさせることが出来、スピード豊かなボールが投げられる人は西村信紀さんだと確信していますので、彼に教えを乞うことに間違いはありません。幸いないことにそれが可能な環境にもありました。
師匠からは何度も教わっているのですが、出来の悪い弟子はいまだに教わった型を習得出来ずにいます。同じ投げ方は出来ませんが、速いボールを投げるために必要な基本の型を見に付ける必要があります。まずはこれに集中したいとあらためて思っています。「リリースで力が入る」ために、どうスタートして、どう体を動かすのかがすべての肝になります。
「破」は型破り
歌舞伎の中村勘三郎さん(故人)は型破りな役者と言われていたそうです。そう聞くと破天荒な人のように感じてしまいますが、勘三郎さんは歌舞伎の基礎(古典的なもの)はしっかり身に付けた上で、これまでにはなかった発想の歌舞伎を演じておられたそうです。型破りとは自分勝手なやり方ではなくて、しっかりとした基本(型)あってがあって、それを破ってこそ「型破り」と言えるみたいです。
まさしくソフトボールも同じで、師匠(指導者)から教わった基本を身に付けた上で、それを応用して自分にあった投げ方や打ち方を作る作業が必要になります。ここで自分の特性(パワーがある、関節が柔らかいなど)を活かした自分流を作りあげられれば成功への道が開けます。
師匠がいくら立派な実績を持っていても、同じことだけをしていたら師匠を超えることは出来ません。師匠のやり方に自分の特性を加えてステップアップすることで、師匠を超えて行くことが出来るというものではないでしょうか。まあ、あまりに師匠が凄すぎると、どんなにやっても師匠を超えることが出来なくて、「やっぱりあれは西村さんだから出来ることながよ。」と諦めてしまうことになりかねませんけどね(笑)
「離」の世界は夢の境地か?
自分の型が完成すれば、あとは実践でやってみて自信をつけるだけです。練習でいくら良いボールが投げられても、試合で結果が残せないと自信はつきませんよね。またいくら速いボールをなげようと、バッターに打たれては意味がありません。バッターも必死で打とうとしています。そして打ち方も千差万別です。内角が苦手、ドロップが苦手、選球眼が良い・・・などなどを見抜いて、打たれない、上手く打ち取るように配球して投げて行く必要があります。
たぶん日本を代表するピッチャーのみなさんは、この「最終的に型そのものから「離」れて、自由自在の境地に解き放たれる」という幸せな境地を味わったことがあるのだと思います。振り返ってみると私にも最少投球数の記録を出していた時期、ボール半分の出し入れを自由自在にやって勝てていた時代がありました。私の生命線は「コントロール」だったんです。
それが今この年になって、生命線である「コントロール」を捨てて「スピード」を求めて彷徨っているとは、やっぱり頭がおかしいのかもしれません(笑)自分というものが一番分かっているは自分なのですが、逆に自分というものが一番分かっていないのも自分で、言い換えると自分を見失うのかもしれません。それをやらせるのが「欲」というやっかいなものです(笑)「守破離」の道は険しいです。