私の仮想敵である西村信紀さんが、国の難病指定になっている「脊髄空洞症」と言う病気と闘っています。
精髄空洞症とは?
調べてみました。そして驚きました。こんなにたくさんの難病と呼ばれる病気があるのか、そして多くの人が苦しんでいるんだろうなと思ってしまいました。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000084783.html
厚生労働省のホームページによると、指定難病に登録されている疾患は331もあって、一応鍼灸師の免許も持っている私は国家試験の時に病理なども勉強しましたので、ある程度知っているつもりでしたが見たことも聞いたこともない病名がずらっと並んでいて驚きました。その中にしっかり「脊髄空洞症」もありました。脊髄空洞症とはどんな病気なのでしょうか?
https://medicalnote.jp/diseases/脊髄空洞症
こんな珍しい病気に、西村信紀さんが罹患したという連絡がありました。「なぜ西村が?」と思わずにはいられませんでしたが、彼は今この難病と闘っています。
前兆は年明けでした。
年末に帰省したときに会ったときには風邪ぎみだとは言っていましたが、普通にお酒を飲んでいました。そして年明け1月12日(土)に岡山でのピッチング指導を約束して別れました。そして岡山に行く前の10日になって「岡山来られますか?今日病院です。」という連絡がありました。MRI画像には脊髄内に何やらあるような感じで、この時は「左肩から腕にかけて寝汗がひどくて、左手が冷たい。右足首から先は熱い。」という異常を訴えていました。
ただそれ以外は元気だということだったので、予定通り岡山に行って3回目の直接指導を受けました。それが終って16日から検査入院を1週間して、そこでは「脊髄空洞症に近い症状みたい」という連絡があり、最終的にはここで「脊髄空洞症」という診断になったようでした。ただまだこの時点では体の各部の感覚障害だけでしたので、薬で症状を緩和しながら様子を見るって感じでした。
ところが1月28日の連絡では左足に麻痺が出てきたと言ってきました。MRIの画像診断の結果は前回とほぼ変わらず、とりあえず経過観察するとのことでしたが、30日になって排尿障害が出て再入院(2週間の予定)となりました。この時点では3月の高知合宿には足引きずってでも行きますと言っていましたし、自分が十分動けないことを予想して環太平洋大学の1期生の教え子(現在は平林金属所属)をコーチに就任させたと連絡がありました。自分自身の体調に不安を感じながらも、現在の学生のことも心配しなくてはいけない監督のつらさとでも言うのでしょうか、2月中の講習会もすべてキャンセルしたということでした。
症状は落ちついてきたかな?と思っていたら2月3日の夜に、「明後日手術することに決めました。今日1日で右足も麻痺して立ち上がることも出来ません。」という衝撃的な連絡がありました。上半身は大丈夫なんだそうですけど、下半身は麻痺しているようです。もう想像を大きく超えた状態になっている感じで、こちらの頭も大混乱です。歩けない西村信紀が想像出来ないんです。症状の進行が早くて医師も驚いているみたいですし、本人もいったい何が起こっていて、この先どうなるんだろうという不安に襲われていたようです。でも西村信紀は戦う決意をしました。
病気なんかに負けるな!
「70歳で西村信紀に勝つ!」は私が勝手に作ったチャレンジテーマでした。最初は相手にもしてなかった西村さんでしたが、なんか私の本気度に最近は「負けませんよ!」と返してくれていました(笑)まあ普通に考えたらかなう相手ではありません。みんながそう言います(笑)しかし分かりません。私がコツコツ努力して体力、筋力を維持して今の力を出来るだけキープして、西村さんがどんどん体力、筋力が落ちたとしたら私が70歳、西村さんが63歳の時点で勝負できるのではないか?というのが私の一つの目論見でした。
去年の群馬での同窓会のときに「お前どっかおかしくなれや!」と思わず発してしまった言葉を、今は悔いています。こんなことを頭の中で考えていたわけじゃないんです。一緒にボール投げてみると、そこにはどうしようもないほどのスピン量の違うボールを投げている二人が存在するわけです。それは自分が一番分かっています。けれど負けを認めるのはイヤなんです。そこで思わず口から出た言葉が「お前どっかおかしくなれや!」でした。
そんなことにはならないと思っているからこそ言える言葉ですし、別に群馬で私があんなことを言ったから西村さんが今こんなことになっているわけでもないと思いますが、言わなければ良かったと思ってしまう残念な発言でした。
こんなことでもう西村信紀のピッチングが見られなくなるとしたら残念で仕方ありませんし、1月12日私の目の前であれだけ力の差を見せつけておいて、勝手にレースを棄権するようなことは許しませんよ。私には「1月12日が最後のピッチングだったかもしれません。」と言ってきましたが、絶対少なくとももう1回は直接対決して「山崎さん、負けました。」と言わないとダメです。それを動画に撮ってお終いにしましょう。
お見舞いに行って来ました。
2月5日手術前日、西村さんがFacebookにご自分の状況報告と、関係者への謝罪をアップされていました。以前肺がんになった時に「西村さんが死ぬ。」と大騒ぎした後輩がいて全国的に大騒動になったことがあったので、今回は静かに見守ろうと思っていましたが、本人が結構詳細まで公表しましたので、私も現在日本で唯一「打倒西村」を宣言している者として、西村さんを私なりの形で激励するべきと思ってブログに書かせていただきました。Facebookにも最初「悲しいね!」をクリックしたんですが、本人が頑張るって言っているんだから「悲しいね!」はおかしいと思って、「いいね!」に変更しました。皆さんがコメントで頑張れって言ってくれていましたし本人頑張ってますので、あえて頑張れは言わずに「戦え!」と言っておきました。
手術後の経過は本人がFacebookにアップしているので確認したりしていましたが、気になってしかたないので昨日岡山まで車を飛ばして西村さんをお見舞いしてきました。病室を訪れてみると、そこには普段と変わらない表情の西村さんがいました。普段と違うのはベッドの上にいるということだけ。現在の状態、手術の状況、今後のことなどいろいろと聞いてはみたものの、基本的には原因不明、治療法も分からないということで何も分からないということでした。
ただ本人がまったく諦めていないので、セカンドオピニオンの検討であったり、少しでも麻痺したところが動かないかとチャレンジしていることに安心しました。これまで世界を相手に戦ってきた男の心は弱っていないようです。今日のブログのタイトルに「頑張れ、西村信紀!」と書いてしまいましたが、西村信紀は頑張っています。今年10月に開催予定の、高知での同窓会にも来てくれるつもりのようです。これまで数々の偉業を達成してきた西村さんですから、医師も驚くような復活劇を演じてくれるかもしれません。私たちは何もすることは出来ませんが、そのチャレンジを見守り応援して行きたいと思います。