【実録】第26回全日本実年ソフトボール大会遠征記
第26回全日本実年大会は、平成29年9月23日(土)から9月25日(月)までの3日間、滋賀県東近江市で開催され、土佐土建は21日(木)の夜10時に高知を出発して、一路滋賀県を目指しました。その出発から試合、夜の豪華な食事、そして高知に帰って来るまでの珍道中をご紹介してみようと思います。
高知から滋賀まで
9月22日(金)に監督会議と開会式が予定されていましたので、当初は22日の早朝高知を出発して滋賀に向かう予定をしていました。
何とか高知にも高速道路が開通して、どこに行くにも便利にはなりましたが、やはり四国外に出るとなると長い移動を余儀なくされます。昔はフェリーを使っての移動が多かったですね。
早朝の出発となると、大阪を朝のラッシュ時間に通過しなくてはいけなくなり、万が一監督会議に遅れるといけないのでということで、急遽21日(木)の夜出発して、夜中に到着後はサウナかどこかで仮眠を取って監督会議に出席することになりました。
10時の集合は問題なく予定通り高知を出発しました。途中2回のサービスエリアでの休憩を挟んで、どこで仮眠を取るかということになりました。
調べてみると滋賀県(東近江市)の近くには24時間営業を施設を見つけることが出来ず、結局京都の祇園にあるサウナに行くことになりました。
ここへの到着もほぼ問題はありませんでした。カーナビという便利なものがありますからね。
入館、入浴、仮眠となったわけですが、人気施設のようでなかなか仮眠するスペースを確保出来ない者がいたりで、早々に自分のスペースを確保してゆっくり寝た者もいたようですが、結局朝まで一睡もしていない者もいました。
ちなみに私は1時間ほど、うつらうつらした程度でした。
起床後サウナで朝食を食べて、滋賀県東近江市に向かいました。ここで恐れていたことが起こります。
「練習するぞ!」
この夜移動、朝到着というパターンの場合、こう言い出すことが多いんですね。まともに寝ていないし、やる気もない(笑)こんな状態で練習してもと思っている選手がほとんどなんですけど、うちのオーナー兼監督はこんな時に必ず
「練習するぞ!」
と言い出します。言われれば嫌々でもやらないといけません。そして練習は開始されました。アップしていると雨が降り始めたので、しめしめ、これで終ればいいのにと思っていましたが、あまり強い雨にはならず、そのまま練習は行われました。
そして監督会議と開会式の会場に移動となりました。
再会
監督会議は関係ないので駐車場で開会式までの時間をつぶします。最初少なかった車も増えてきて、全国各地のナンバーをつけた車が駐車場を埋めていきました。
そして開会式の時間がせまってきたので、ユニフォームに着替えて移動すると、そこの懐かしい顔を見つけました。
鳴門クラブのみなさんでした。高知と徳島、隣の県ですが全国大会でもないとなかなか顔を会わすこともありません。
2年振りの再会になりました。前回お腹も出て太っただらしない体になっていた関原投手も、心を入れ替えたのか、もう一回ボールの球速とキレを取り戻してと考えたのか、すっきりとしたスマートな姿に変身していました。
それがこちらの写真です。
開会式はホールで着席でしたので少し時間は長かったですが、そんなに負担にもならずに終了しました。
駐車場から出る時にラッシュになることは予想できましたので、開会式終了と同時にダッシュして車にもどり、早々に開会式の会場をあとにしました。
Facebookでお知り合いになった方も多く参加されていたようで、出口のところで待っていただいた方もおられたようです。申し訳ありませんでした。
大会期間中の食事
大会は最終日まで残ることになりましたので、ホテルに3泊することになりました。そして3回あった夕食は3回とも「焼肉」になりました。
土佐土建に加入して遠征をするようになってかれこれ16年になると思いますが、3日とも「焼肉」だったのは今回が初めてです。2回というのは静岡のマスターズの時にありましたが、通常は1回ですね。
なぜか今回は「夜は焼肉」ということになっていました。
初日の様子がこちらです。3,500円の焼肉のコースに飲み放題をプラスでした。
二日目の様子がこちらです。初日のお店が満席で予約できず、お店を変えての焼肉になりました。
三日目、どこにするかと揉めていましたが、弘瀬さんの鶴の一声で「初日のところ」に決定しました。コースは初日に「決勝まで残ったら7,000円のコース」という約束を、オーナー兼監督から取り付けていました。しかしお店に行ってメニューをじっくり見たら、7,000円も5,500円もあまり変わらなかったので、5,500円の焼肉コースと飲み放題にしました。
その様子がこちらです。
どうですか?全国に多くの実年チームがあると思いますが、こんな贅沢な食事のついたチームが他にあるでしょうか?ありがたことです。
オーナー兼監督の暴言とわがままに耐えることが出来れば、こんな幸せな食事付きの全国大会に参加することが出来ますけど、「土佐土建でソフトボールがやってみたい。」という選手はいませんでしょうか?ドアを大きく開けてお待ちしていますので、どしどし申し込んでください(笑)
試合について
大会2週間前の練習でエース有吉投手が背中を痛めてしまいました。回復するかな?と期待していましたが、投げなれないことはないけれど、完調にはほど遠いという状態でした。ということはシニアの全国大会に行って来て4試合を投げて来たばかりの弘瀬さんに頼ることになりました。
ただこの60歳を超えた弘瀬拓生というピッチャーはただ者ではなかったんです。点差が開いた試合は他の投手が投げることはありましたが、勝負どころは弘瀬さんでという形になりました。
さすがという言葉以外、他の言葉を見つけることが出来ません。
しかしシニアからの連戦に、毎日肉を食べ続けた体も最後は悲鳴を上げることになりました。本人いわく「左の膝が前にずれた。」ということで、微妙にコントロールや球威に影響が出たようです。
決勝戦も1回は無難に抑えましたが、2回に打ち取った打球が野手の間にポトリと落ちるようになり、急造キャッチャーのパスボールなども重なり失点してマウンドを降りました。
本当にお疲れ様でした。
今回の大会打線もそれなりに頑張りましたが、準優勝までたどり着けたのは弘瀬さんの働きです。最後は
「弘瀬こけたら、皆こけた!」
になってしまいましたが、弘瀬さんがいなかったら初日で帰っていたかもしれない大会でしたね。
大会を振り返って
ここからは私山崎の今大会を振り返ってみたいと思います。
バッターとしては熊本のドゥプロジェクトさんの先制点になった2塁打は、満足のいく一打になりました。あとはダメですね。
特に決勝戦は、準決勝のドゥプロジェクト戦が事実上の決勝戦と思っていて、そこに勝って気持ちは「優勝した。」くらいになっていました。ちょこっとしか見ていなかったんですが、反対ゾーンの試合を見た感じでは、こちらのゾーンのレベルが上と判断してしまっていました。
まして福岡のチームなんて聞いたことがなかったので、それも相手をなめる要因の一つになっていました。あとで今年創部のチームだと分かり、それは聞いたことがない訳と理解しても遅かったということでしょう。
「たいしたことないろう。」➡「意外にやるやん。」➡「結構やるやん。」➡「負けた」
慢心からくる負けパターンでです(笑)
ピッチャーとしては2イニング投げることが出来ました。大会前弘瀬さんからは
「有吉はダメやろうき、お前が投げんといかんぞ!」
と言われていました。
チーム事情もありますし、結局は信頼度の問題ですよね。オーナー兼監督は
「困ったら弘瀬。」
を選択した訳です。
信頼を得られるように、これからも精進していくいかありません。
準優勝は結果ですから受け入れるしかありません。2番目の力しかなかったということでしょう。
個人的には初日の焼肉の時にお酒も飲んで夜中足がつって大変だったので、2日目からは肉は食べるけれどお酒は飲まないことにしました。
すると2日目からは足もつりませんし、朝起きる時の筋肉痛もなかったんです。びっくりしたのは3日目の体が、この大会期間中で一番軽かったということでした。
もともとお酒は無くてもいい人ということもあります。練習や試合のあとの一杯を楽しみにしている方にはお勧めはしません。
しかしアルコールは体を酸性傾向に傾けますので、筋肉は固くなります。それが筋肉痛にもつながり、そしてケガにもつながったりします。
ぜひお酒はほどどどにをお願いしたいと思います。
あとはこのブログやFacebookのお陰でお知り合いになった方から、たくさん声をかけていただきました。本当につたない文章を読んでいただきありがとうございます。
また、ホテルの大浴場で入浴していたら
「山崎さんですよね?ブログ読まさせていただいています。」と声をかけていただきました。自分が思っているよりも多くの方々に読んでいただいていることを実感しております。困るのは入浴中は眼鏡をはずしていますので、お相手の顔がほとんど見えておりません(笑)
そこでご挨拶したのに次は知らん顔されたと思わないで下さい。顔が見えていないので、分からないんです。申し訳ありません。
あと試合会場では本当に愛想が悪いです。試合は喧嘩だと思っていますし、勝たないといけないと今でも思っています(笑)ですから試合会場ではなかなか話しかけづらいオーラを出していると思います。さらに元来の人見知りなので、初対面の方とフランクにしゃべることは苦手なんです。これでもずいぶんましになったんですよ(笑)
今回の大会期間中に私の態度で、不愉快になった方がいらしゃらないことを願っています。
大会終了後、東京、新潟と出張があって高知に帰って来たと思ったら、お隣の愛媛で国体が開催されていました。
2試合連続のタイブレーカーという試合を高知県代表の成年男子チームがやるものですから、2日も高知愛媛往復をすることになりました。
そのお陰で、久し振りに闘犬センターOBや日本リーグで戦っていた連中、そして日本ソフトボール協会の事務局長と次長などと再会することも出来ました。
頭の中が「ソフトボール、ソフトボール」になってしまった2週間でした。
これで私の気持としては、今年の勝負は終わりました(笑)さあ、仕事、仕事!