(ソフトボール生涯部門)今年の全国大会の予選の結果は?
この記事の目次
土佐土建の今年(2017年)の壮年・実年・シニアの全国大会の高知県予選がすべて終了しました。
高知県予選の結果は?
シニア部門
まず一番最初に高知県予選が行われたのは「シニア」部門でした。
土佐土建シニアは今年から登録をして活動を始めましたが、順当に勝ち上がって
第31回全日本シニア大会
期間 9月16~18日
監督会議・開会式15日
場所 北海道 石狩市
への出場を決めました。
この場所は北海道国体の成年男子ソフトボール会場で、その記念碑に私達(高知県選抜)の名前が刻まれているという情報がありましたので、是非行ってみたかった大会でした。
私は残念ながら、まだシニアではないので行くことは出来ませんが、写真でも撮ってきてもらおうと思っています。
日本スポーツマスターズ大会
マスタース大会の予選では、健闘したものの残念ながら敗退してしまって、久しぶりのマスターズ大会への出場は出来ませんでした。
この大会の日程は
第17回日本スポーツマスターズ大会(男子)
期間 9月16日~19日
監督会議 15日
場所 兵庫県 淡路市
で、シニアの大会と日程が重なっていましたので、代表や監督がシニアの全国大会に出場が決まっているので、もし勝っていたらどうなっていたのでしょうか?(笑)
実年部門
実年は順調に(逆転勝ちがあったりで、結構白熱した戦いになりました。)勝ち上がって、全国大会へのキップを手に入れました。
全国大会は
第26回全日本実年大会
期間 9月23日~25日
監督会議・開会式 22日
場所 滋賀県 東近江市
で開催されます。
全員ではありませんが代表や何名かのシニアと実年と両方にベンチ入りしている選手は、シニアの全国大会から帰って、その週の木曜日にはまた滋賀県に向けて出発という強行スケジュールになりそうです。
壮年部門
最後に残ったのが、壮年大会の高知県予選になりました。
大会日程は
第32回全日本壮年大会
期間 9月2日~ 4日
監督会議・開会式 1日
場所 静岡県 袋井市・掛川市
です。
シニア・実年と全国大会出場を決めていましたので、残るは壮年のみとなっていました。
ただ毎年のことですが、この生涯部門の全国大会は9月に集中します。土佐土建のように一つのチーム(登録メンバーはそれぞれですが)が、すべてのカテゴリーで全国を狙うことは少ないのかもしれません。
また県によっては壮年大会と日本スポーツマスターズ大会の予選を一緒にやって、1位は壮年大会に出場、2位はマスターズ大会に出場としている県もあるようです。
高知県はそれぞれの予選をやりますので、大会開催地や日程をにらみながら、どっちの大会を狙うかなどの作戦を練ったものでした。
両方の大会に出場となると、日程的なものや金銭的なものの問題が出てきて、なかなか厳しいものがありますね。
鳴門クラブが壮年・マスターズと両方出て勝っていたころには、
「あいつら、仕事しゆうがかな?」
という疑問と、
「良く頑張っているなあ!」
という驚きの気持ちで見ていたことを思い出します。
壮年・実年の高知県予選は同日開催になりました。
高知県の場合、壮年以上の全国大会の予選は、体力的なことを考えて1日3試合までと決められているようです。
決勝戦を含めて4試合になる場合には、決勝戦のみ別の日に実施されることになっています。40歳を超えて1日4試合ともなると、ピッチャーの疲労度は相当なものになります。
ということで実年の決勝戦が残っていました。
壮年の高知県予選は梅雨真っただ中の日程になっていて、何とか1試合はやったものの2試合目の開始頃から雷が鳴り始め、結局は残りの試合(準決勝・決勝)は後日ということになりました。
ただ問題なのは、その日程がまず9時から実年の決勝戦を行って、その後に壮年の準決勝と決勝を行うことになったことでした。
土佐土建の壮年には現在壮年(40歳~49歳)のピッチャーはいません。実年のエースである有吉投手が壮年のエースでもあります。
ということは、この日(30度を超える炎天下)3試合を一人で投げることになりかねないということでした。そして野手も何人かは実年と両方出場しなければいけないメンバー構成になっています。どこかに土佐土建でソフトボールがしたいっていう、変わり者はいないでしょうか?(笑)
練習は週に1回しかありません。全国大会に行ったときは必ず焼肉が付いてきます。焼肉じゃない日の夕食は、居酒屋で飲み放題・食べ放題ですよ。ちょっとだけ先輩の口が悪いのを我慢すれば、こんな好待遇なチームは全国見渡しても土佐土建だけだと想いますけどね(笑)是非よろしくお願いします。
話しを元に戻しましょう。
壮年と実年はカテゴリーが違うので配慮がなくても仕方ないですが、元々の日程では、実年の決勝戦のあとにはシニアの西日本大会の予選が入っていたはずなんです。
それを変更して、協会は壮年の予選を入れたんですね。そのことによって、壮年と実年両方に出る選手は、連続3試合という強行スケジュールになってしまいました。
実年・壮年の予選の結果は?
実年は先にお伝えした通り、逆転勝ちではありましたが無事全国大会出場のキップ手にいれました。
この試合有吉投手が完投しました。
試合が終わって、さあ次は壮年の試合なので、ベンチでゆっくり見させてもらおうかと思っていたところに、
「お前投げろ!」
という思いもかけない言葉が飛んできました。
「え、俺ですか?」
何の前触れもなく、意思の確認のないままの登板指令でした。この日弘瀬拓生先生は広島出張で留守、もう一人の実年のピッチャーも都合で来ていませんでしたので、残された選択肢がなかったということでしょう(笑)
時間もないので仕方なく慌てて準備を始めたものの、ピッチャーの準備ってそんな簡単なものじゃないんですよね。
バッティングピッチャーの準備なら肩が暖まれば大丈夫ですが、試合となればそうは行きません。確認したいこともありますし、まして壮年の試合に投げるなんて久し振りのことでもありました。
さらに言い訳をさせてもらうと、6月に入ってからは雨だったり、試合(野手で野出場)だったり、出張だったりが続いて、まったくピッチングをやっていなかったんです。
ですから私のジャンピングへの挑戦の記事も、まったく更新されなかったんですね。
時間もないので、ブルペンでじっくりアップすることも出来ずに、投げてみないとどんなボールが行くのか、使える球種はどれなのかなど不安だらけの登板になりました。
これがその時のピッチングフォームです。
初回の最初のバッターには全くストライクが入りません。ボールが上ずってしまって高目のボールしか行かず、フォアボールを出してしまいました。これはブルペンでキャッチャーを立たせたままで、立ち投げしかしていなかった弊害でした。
「これはまずいぞ!どうやってストライクを投げよう?」
と心の中はドキドキものでした。なんとかドロップだけは使えそうだったので、大事な場面で4番バッターをドロップで三振に取ることが出来て、1回は無失点で切り抜けました。とは言ってもスリーアウト目は強烈なセンターライナーでしたけどね(笑)
2回は打順が下位に回ったこともあって、ここもなんとか0点で終ります。
「あと1回」
と言われて、3回のマウンドに行きました。
この頃には少し思うようなボールを投げる感覚が戻ってきつつあったんです。1番からの打順で、初回は思うようにボールをコントロールできなくて、フォアボールを出したバッターでした。
初球は外角低めのまずまずのボールが行きました。
「良し、これやったらいける!」
と気を良くしての2球目が甘くなりました。左中間を抜けるツーベースヒットです。問題なのは次のバッターへの投球でした。構えはバントでした。簡単にやらせてアウトカウントを稼げばいいものを、警戒したのとバントで失敗させてやろうと狙ったのがまずくて、またコントロールを乱してフォアボールにしていまい、ノーアウト1.2塁にしてしまいました。
このあとも1球目に素晴らしいボールが行って、2球目が甘くなり痛打されるというパターンを繰り返すことになり、4失点でこの回を終わることになりました。
打たれたのは力がないので仕方ないですし、狙ったところに投げるコントロールがないのも現在の実力です。ただピッチャーとしてもっと冷静に考えて、二人目のバッターでワンアウトを取っていれば、この回は2失点で終っていたのにと反省しました。
結局この試合打線が頑張って逆転して、決勝戦に進むことが出来ましたが、課題も多く浮き彫りになった試合になりました。
壮年の高知県予選の決勝戦は残念ながら逆転負けをしてしまって、壮年、実年、シニア揃っての全国大会出場という夢はかないませんでした。
ただこれ全部出るとなると日程的には相当厳しいものがあります。どれか10月に開催するような変更は出来ないものなのでしょうか?
山崎浩誌の振り返り(反省)
私自身、これまでのピッチャー経験の中で「ストライクを投げる」ことに困ったことはありませんでした。
この日突然投げることになったということを差し引いても、こんなひどい内容は経験がありません。
今挑戦しているジャンピングという投球フォームが身に付いていない、投げ込みも出来ていないし、精度も低い。試行錯誤の真っ最中であることには違いないですが、これでは試合では投げられないですし、投げると仲間に迷惑をかけてしまいます。
もっともっと努力して、信頼されるピッチングが出来るようにしなければいけません。
試合後弘瀬拓生先生から電話がありました。内容は代表から聞いていたようでしたが、2人の結論は
「ピッチャーにとって重要なのはコントロールだ!」
ということでした。
ただ私のジャンピングへの挑戦はまだまだ道半ばです。もっと練習して球速と球威を求めながら、ボールをコントロールすることは出来ないかをやってみるつもりです。
それでどうしてもダメなら、元に戻すというこちも考えなくてはいけないと思います。
ただ私がこのフォーム改良に取り組んだのは、
「70歳で西村信紀に勝つ!」
という壮大な目的だったので、そう簡単に諦めるわけにはいかないんです(笑)
こんなフィニッシュじゃダメなんです!!!