【マスターズ大会高知県予選】待望のリベンジマッチ
昨年秋に香川県で後輩の植村投手と対戦したことをお伝えしました。
リベンジマッチが始まった
「次対戦したときは、必ず打ってやる!」とは言ったものの、彼らは「壮年」ですし、私は登録はされてはいるものの「限りなくシニアに近づいた実年(笑)」ですので、なかなかその機会は来ないだろうと思っていました。
しかしその日は意外に早く訪れました。
日本マスターズ大会高知県予選が6月18日(日)に開催され、その日土佐土建壮年のファーストを守っている主軸打者が仕事の都合で参加出来ないとなってしまいました。
そこで私の出番が回ってきました。
リベンジマッチをするためには1回戦を勝たないと対戦できないことになっていましたが、珍しく土佐土建壮年が9点という大量得点をあげてコールド勝ちをして2回戦に勝ちあがりました。
植村投手のチームも1回戦を勝ち上がって、待ちに待ったリベンジマッチが実現することになりました。
植村投手の調子は?
植村投手のピッチングを見るのは今年2回目でした。前回は西日本壮年の県予選の時で、その時はボールも走ってなくてコントロールも良くないという感じだったような記憶があります。
偵察が目的ではなくて、動画をアップしてやろうとスマホを片手にバックネット裏に行ってみました。
見た感じは「普通かな!?」でした。
前回ほどコントロールにばらつきがないので、見ていてそこそこ安心していられる投球内容でしたね。こちらの動画でご確認ください。
持ち球である「縦回転のボール」が、低目に来ると内野ゴロが多くなるので、注意しないといけないなと思って見ていました。
リベンジは成ったのか?
最初の対戦は1点を先制された次の回になりました。
ノーアウトからの最初の打者が私でした。絶対ボールと思って見逃がした低目のボールがストライクと判定されたり、真っ直ぐ来たなと思ったボールがいい感じで沈んだりして、体が反応しないうちに追い込まれていました。
打ち取りにきた決め球だったんでしょうけれど、やはり力んだんでしょうね。内角へのボールでしたがコースも甘く、高さも少し甘いボールになってしまって、少し詰まったものの打球はレフト前のヒットになりました。
「やった~!!!」
これでもう個人的なリベンジと、先輩としての意地は完成しました(笑)
このヒットをきっかけに土佐土建は2点をあげて、2-1と試合を有利に進めることになりました。
次の打席はランナー2、3塁の場面でした。外野フライでもOKという、気持ち的には楽に打席に入れる場面でしたが、1打席目にヒットを打たれている植村投手が、必要以上に警戒してしまって結果はフォアボールになってしまいました。
「俺と勝負しておいた方がいいと思うけどな。」
「2回も3回も打てるわけがないやん。」
と心の中で思っていました。
と言うのは私の後には壮年の連中が続いていましたし、この試合何名かの実年が出場していましたが(土佐土建壮年はメンバーが少なくなっています。誰かいっしょにやりませんか?)私が飛びぬけて高齢でした(笑)やはり若さには勝てませんからね。
ノーアウトアウト満塁という絶体絶命のピンチになってしまいましたが、ここから植村投手が頑張り無失点で切り抜けます。ここがこの試合土佐土建が勝ちゲームにする最大のチャンスであり、ここで得点をあげられなかったということで、敗戦への道を進んでいくことになりました。
「ピンチのあとにチャンス有り。」
とはよく言ったもので、その裏2点を取られて再逆転されていしまって、この試合はそのまま終了することになりました。
3回目の対戦は6回表、2アウトランナーなしという場面でした。
球筋はだいたい分っています。高目のボールはほとんどないので捨てました。低目に沈んでくるボールを少し下から打ってやろうと待っていましたが、この最終打席の植村投手のボールは違っていました。
狙っているボールは分かっていたんだと思います。普段なら沈むボールが真っ直ぐ来るんですね。
そうなると体が反応しなくなります。逆に植村投手は気合が入ってきたようで、ボールに力が出たような感じもありました。
ここに来たら打つと決めてバットを振りに行きました。しかしボールは予想より内角の厳しいボールでしたし、バットにボールが当たるところで少し沈んだんだと思います。
ボテボテのサードゴロになってしまいました。
これでこの日の対戦は終了です。
3打席で1安打、1フォアボール、1内野ゴロ=引き分けですね。
前回はまったく手も足も出ないという感じでしたので、まあリベンジとしては成功と言ってもいいと思います。
集中力という力
年齢的なこともありますし、メンバーが揃っていれば壮年に私の出る幕はありません。ですから今後植村投手との再戦はないと思っています。
たいへん良い思い出になりました。
植村投手からすると、会うたびに
「お前からヒットを打った!」
と言われる事実を残してしまったわけですから、困ったことになりましたね(笑)
けれどここ何年もバッティングはひどい状態が続いています。壮年の時に何回かやった膝のケガのせいで(特に右膝)、右膝に負担をかけることを自然と避けるようになってしまっていて、体が浮くような感じになってしまっています。
ですから手打ちになってしまって、打ってもボールは飛んでいきませんし、体に力も入らない感じでずっとやっていました。
ここ最近膝は屈伸もできるようになってきましたので、まずまずの状態なんですね。(正座は出来ません。)
しかしいつの間にか見に付いた悪い癖はどうしようもなくて、気合の入らない練習のときなどはひどいものです。有吉投手などからしたら、こんな簡単なバッターはいないくらいに上から見下ろされて簡単に打ちとられてしまいます。
しかし気合が入って、集中した時は自分でも驚くようなスイングが出来ることがあります。
集中力ってすごいんです。
好投手との対戦は楽しい
植村投手との対戦もそうででしたし、鳴門クラブの関原投手、熊本の三友クラブの安武投手などとの対戦の時は、自然と良い形(昔の好調時の形)になっているような気がします。
打てる打てないは時の運もありますが、結果もそこそこ良い結果が残っていますね。
そしてこんな好投手との対戦は楽しい!
この一言に尽きます。
壮年になって久々に関原投手と対戦した時は、一生懸命投げてくる関原投手に
「ほかの人と、ボールが違うぞ!同じボールを投げろ。」
と言うと、
「お前と杉本さんはイカン!」
と拒否されました(笑)
彼は1人で全部の試合を投げていましたので、下位のバッターなんかには言い方は悪いですが手を抜いて投げることもありました。
ですから下位のバッターに簡単にヒットを打たれるものの、ここぞと言うときには本気で投げて打ち取って連戦に対応していたんです。
その下位に投げている簡単なボールを投げて下さいとお願いしているのに、そこは昔からの因縁みたいなものがあって、
「お前はイカン!」
となる訳です(笑)
久し振りに本物のボールを見た私は、生まれて初めて
「このボールやったら三振してもいい。」
と思っていました。
根っからの負けず嫌いですから、それまでそんなことを思ったことはありませんでした。三振は数え切れないほどしましたが、残るのは悔しさだけです。
三振してもいいなんて、自分が思うなんて不思議でなりませんでした。結果はこっちも必死で食らい付いていきましたので、何とかバットには当たりましたが、バットの芯には当てさせてはくれませんでした。
練習試合も含めて関原投手の鳴門クラブには、壮年以降1回も勝ったことがありません。
次は鳴門クラブにリベンジだ!(笑)