ソフトボールマガジン2017年1月号が発売されました。
ソフトボールマガジン2017年1月号の中に
全日本女子の代表監督に宇津木麗華さんが決定された記事や、大阪桃次郎の高橋トレーナーの「力まないからだづくり」とか興味深い記事が多く、読み応えのあるない様になっていますので、みなさん読んでみてくださいね。
その中で私が注目したのがこの記事でした。
山梨県で少なくなった競技人口を増やす、いや守る活動をされているという記事です。ここに出て来る「北義男監督」「斉藤コーチ」や山梨学院大学の「清水監督」が、昔私達とさんざん戦った「山梨クラブ」の選手だということに気が付きました。
最初は「ん、山梨?」「どんな記事かな?」でした。ソフトボールの競技人口が減っているのは、山梨県も同じ・・・そうか、山梨でもそうなんだなあと読み進めていました。
北義男という男
するとそこに「北義男監督」という名前があり、この名前には見覚えがあるぞとなって、真剣に最初から読み直してみました。するとそこには山梨学院大学の清水監督とか、懐かしい名前があるではないですか。
そして記事の下にある写真を見てみると、体形は若い頃とはまったく違っててはいますが、顔は私の知っている「北君」でした。最初の出会いは彼が「日本体育大学」の学生だった頃です。それから山梨県に国体のために就職され、その後は山梨クラブで何度も試合をした間柄でした。
この体形からは想像できないかもしれませんが、日本でも有数のスピードボールを投げるピッチャーでした。身長が高いわけでもなく、手も足も長いわけではありません(笑)
しかし、その強靭な体を駆使して早い腕の回転で、スピードで打者を圧倒するタイプのピッチャーでした。彼もまた一人の天才ピッチャーでした。一度壮年の大会で再会した記憶(山梨の大会だったと思います。)がありますが、その時はどちらかというと今の体形に近くなっていて、若い時のようなすごく速いボールは投げていなかったような感じでしたね。
残念ながらその時は対戦することがありませんでしたが、若い頃に一生懸命ソフトボールしていた仲間に再会すると、その頃のことが蘇ってくるので楽しいです。思い出したくない苦い思い出もありますけどね。
その「北投手」がソフトボールへの情熱を失うことなく、今もソフトボールに関わっておられて、そこには昔の仲間の支えがあるなんて素晴らしいことだと思って読みました。
国体のために呼んでもらって、今の自分がある。そこでソフトボールを通じてお世話になった山梨県にお返しをしようと考えておられるようです。
本来は高校の指導者ですが、高校で待っていてもソフトボールをやる生徒は入ってこないという現実があり、その傾向はさらに加速していきそうな感じあって、それなら自ら出て行って小学生から競技人口を増やして行こうと考えられ、行動されています。
カケゴリー別の指導もあるようですが、山梨学院大学を頂点として一貫指導ができる環境を整備されていあることに頭が下がります。
どうかこれからも頑張って、山梨県のソフトボールを支えてもらいたいと思います。
西村信紀をカモにした男
山梨学院大学の清水監督は西村信紀投手とは相性の良いバッターでした。西村投手は苦手なバッターが決まっているピッチャーで、ピンチになると必ずそのバッターに打順が回ってきて打たれるというパターンの多いピッチャーでした。
西村投手からすると「苦手なバッター」の一人が、この「清水選手」でした。1月号のソフトボールマガジンの記事には清水監督の写真はありませんでしたが、今はどんな体形、顔、頭になっているんでしょう。
是非一度山梨をお訪ねして、お二人の指導者としての考え方、指導方法についてお話しを聞かせてもらいたいと思っています。
そして北監督、清水監督、お二人とも男子の競技者が、どのようにして女子の指導者になられたのか。さらに男子が女子を教えることの難しさなどについても教えてもらいたいですね。
沖縄県のように、昔の「山梨クラブ」の連中に集まってもらって、お話しを聞かせてもらうのもいいですね。
またまた楽しみが増えました。