そびえ立つ高い壁を越える(春野運動公園ソフトボール専用球場)
先日日本男子ソフトボールリーグで梅下選手が、初めて春野運動公園ソフトボール専用球場の後ろの陸上競技場の高い壁を越えたということをご紹介しましたが、そのそびえ立つ高い壁がこれです。
どうですか、なかなかの壁だとは思いませんか?これを超えて行くのは今のバットとイエローボールであっても、そう簡単なことではないと思いませんか?
しかし梅下選手がこれをやってのけた後このことに異常に燃えた選手がいました。それがこの人です。
現高知パシフィックウェーブ監督兼選手であり、次回の世界選手権の監督に内定した「岡本選手」です。
当時闘犬センターの4番バッターはこの人でした。4番バッターはチームの中で一番打てる人であって、遠くに飛ばせる人が座る座だと彼は思っていたんでしょう。それが自分がやったことがないことを、高校の先輩でもある梅下選手にやられてしまったんですね。
これは彼のプライドが許さなかったんでしょう。それからのここでの練習のフリーバッティングの目標は、この壁を越えるということになりました(笑)
元々梅下選手と岡本選手のスイングは違っていて、梅下選手はどちらかと言うと「アッパースイングぎみ」の打ち方で、ボールが高く上るタイプの選手でした。一方岡本選手は「レベルスイング」でしたので、ライナーで遠くに飛ばすタイプの選手でしたから、ボールが描く放物線がそもそも違うんです。
落ちた地点は同じでも軌道が違うという感じなんですけれど、岡本選手は梅下選手が出来たことが自分には出来ないということが許されなかったんでしょうね。異常なくらい上を狙って打つフリーバッティングが続くことになります。
何回このコンクリートの壁にボールが跳ね返されたことでしょう(笑)一緒に練習している全員が「フェンス越えたらホームランながやき、あんたどこまで飛ばしたら気がすむが?」と笑われてもこの挑戦が終ることはありませんでした。
元々パワーはある方でしたが、ウエイトトレーニングもしっかりやってさらにパワーアップもしたことが、現在もプレーイングマネージャーとして現役でバッターボックスに立ち続けている一つの大きな要因になっていると思います。
丈夫な身体に産んでくれたご両親にも感謝しなくてはいけないでしょうけれど、本人の弛まぬ努力があってこそ現在まで常にチームの主力打者でいられるんだと思います。
現環太平洋大学男子ソフトボール部の西村監督に言わせると「左バッターは岡本です。右は平金の松田ですね。」と長くソフトボールを見てきて、実際に多くの打者と対戦してきた彼が日本で一番の左バッターは「岡本選手」だと言うのですから間違いないですね。
つでに言っておくと、たぶん日本で一番遠くに飛ばしたのはこの西村選手(当時)で、神奈川県の相模原球場の左中間のスタンドに打ち込んだホームランが、日本国内では最長距離じゃないかと私は思っています。
これは岡本選手が入部してくる前の話なので、これをもし岡本選手が見ていたらまた挑戦していたかもしれませんね(笑)
岡本、江口、梅下、植野、笹岡、そして西村が揃っていたころのフリーバッティングは豪快で、試合前のフリーバッティングが始まるとグランドの反対側で練習していた相手チームの内野まで打ち込むことなんかザラになりますので、だんだん相手チームの練習範囲まで取り込んで行って、最後はバント練習を隅の方でやっているようにさせてしまっていました。
とにかくチーム創設時期から、試合前は気持ちよく試合に入れるようにするというのがモットーでしたから、とにかく打ちたいという選手ばかりでした。他のチームには迷惑だったですね、すみません。
さてこの高い壁への挑戦ですが、結局岡本選手はこれをやり遂げます。周りで見ていた私たちは「お~、ついに超えたぞ。」という気持ちと同時に「これで無駄なフリーバッティングも終わりやね。」とホッと胸をなでおろしたことでした(笑)