60歳を記念して人生で1回だけフルマラソンを走ってみようと計画して2年、いよいよその時がやってきました。
もともと長い距離を走るのは得意ではありませんし嫌いな方でした。しかしピッチャーをやる以上走るということは避けて通れず、嫌々ながら走っていたらそこそこ走れるようになりました。若い頃には少しの練習で20キロの大会なんかに参加して完走してましたので、長い距離を走りこめばフルマラソンも走れるだろうと軽い気持ちで言い出したことでした。
しかし年齢を重ね、老化を実感する年になって走ってみるとなかなか42.195キロという距離は、果てしなく遠い距離でした。20キロまでは比較的簡単に走れるようになりましたが、そこからが地獄でした(笑)
一番情けなかったのはしんどくなるとすぐに「休みたい」「歩きたい」「もうやめたい」という諦めの気持ちがどんどん湧いてくることでした。「あそこまで走る」とか「何キロ走る」と決めたら最後までやれる男だったはずなんです。それがすぐに心が折れてしまう。なんて情けない、そしてなんでフルマラソンなんて走るなんて言ってしまったのかと後悔する2年でした。
それでもなんとか走り続けて、なんとかフルマラソン挑戦までたどり着くことができました。今でも完走する自信はありません。完走したら何か達成感のようなものがあるんじゃないかという期待もありません。30キロ以降はただただ地獄だと思っています。それでもゴールまで何とかたどり着いて、このチャレンジを終らせたいと思っています。これが終ったらもう長い距離は走らなくていいという解放感は味わえそうです(笑)
高知出発
1月17日(金)高知空港から羽田空港に移動です。
初マラソンがハワイだなんて、なんて豪華な!って思っていませんか?いえいえ、そんな贅沢は出来ません。今回高知からハワイの往復は頑張って貯めたマイレージでタダで往復します。オワフーマウイ間の往復の飛行機とホテル代とマラソンの参加費くらいですので、たいしてお金はかかっていません。
さてホノルルまでの飛行機は成田発ですので、羽田から成田に移動します。リムジンバスが速いのですが、高いので京急を使って移動することにしました。
成田に到着して、あとは出国するだけになりました。
無事出国手続きも終って、あとは飛行機に乗るだけです。今日乗る飛行機はこちらになります。2階建ての大きな飛行機です。
ハワイ到着
やっとホノルルに到着しました。これから緊張の入国手続きです。何回やってもこれは緊張しますね(笑)
無事入国しましたが、入国審査官(女性)から「一人か?」「なぜ?」と予想外の質問。ハワイにおじさん一人は珍しいのでしょうか?日本語で聞いてくれたので安心していたら、予想外の質問にドギマギしました(笑)これから国内線に乗り換えてマウイに移動します。乗るのはハワイアン航空の飛行機になります。
マウイに到着しました。ホテルまでは日本語の通じる送迎サービスをお願いしてありました。ハワイはアメリカです。英語に自信のない私にとっては、とっても心細いことになります。今回は観光も全く予定していないのでレンタカーという選択肢はありませんでしたし、タクシーは意外に高い、バスでホテルに移動も大変そうということで、空港とホテル間の送迎を日本語の通じるサービスにお願いしました。この方と合流できたことで、まずは一安心となりました。
https://www.rikachanmaui.com/tourmaui.html
ホテル到着です。このホテルはマラソンの到着地にあるので、ゴールしたらそのまま帰って倒れても大丈夫です。しかしマウイ島は日本人が少ないです。と言うかほとんど日本人を見かけません。なのでほぼ日本語が通じません。ホテルのチェックインにも苦労しました。フロントのおばあちゃんが優しい人で、嫌な顔もせずに何とか分かるように簡単な英語をゆっくり話してくれて、やっとのことチェックインしました。予約情報の入力がおかしかったようで2人での宿泊と思っていたようです。気を使ってくれて何とスイートルームにグレードアップしてくれていましたが、広い部屋、広いベッドにおじさん一人ぼっち(笑)
マラソンの受付
1月18日(土)(現地時間)の午前中がマウイ・オーシャンフロント・マラソン2020の受付でした。これも日本語サービス付きの受付代行をお願いしていましたので、何の問題もなく終了です。この大会全部で500人くらい参加しているそうですが、日本人は70人くらいだそうです。(受付時の情報です。)
https://www.sponavihawaii.com/Event/Detail/EID/11054
これで明日の本番を待つだけとなりました。5時スタートで3時にスタート地点までの送迎バスが出ることになっていますから早めに寝ることになりますが、さすがに時間がありましたのでラハイナの街を見てみることにしました。夜中に起きてスタートなので近くのスーパーに食料の買い出しです。ラハイナ滞在中、このスーパーのお寿司ばかり食べていました。
マラソン当日
起床は午前0時でした。寝過ごしたらどうしよう?という不安が頭から離れず、なかなか寝付かれず、少しウトウトしただけの睡眠になりました。小心者はこれだから困ります(笑)
送迎バスに乗ってスタート地点であるワイレアに出発です。もうこの時点から心臓がバクバクしていました(笑)これが送迎に使われていたスクールバスです。良く見かける黄色のバスですが、こんなことでもないと乗る機会はないでしょうね。座席の座り心地はまずまずですが、路面のでこぼこを拾うので乗り心地は良いとは言えません。
いよいよスタートが近づいて来ました。まだ真っ暗です。このマラソン大会はホノルルマラソンなんかと違って参加人数も少なくて、今回のフルマラソン参加者は230名ほどでした。さてどんなランナーたちと一緒に走ることになるんでしょうか?ちょっと楽しみですが、不安でいっぱいのスタート前でした。スタート前には現地の人たちの歌があって、何かセレモニーをやっているんでしょうけど説明があっても英語が分からないので、ただ茫然と見ているだけでした(笑)
スタートです。これからゴールのラハイナまで一方通行のランニングがはじまりました。帽子につけたライトの明かりを頼りに進みます。
8キロくらい走ったところでした。ランナーの為なのかスプリンクラーが水をまいているところがありました。まだ真っ暗なのでそんなに暑くもないのですが、道路も濡れていて横にランナーもいたので少し道の端を走っていました。すると何かにつまづきました。スプリンクラーのヘッドに足が引っかかったんです。転倒しました。2年間のフルマラソンの練習中3回転倒しています。いずれも夜中走っていてですし、うち2回はここ2カ月内のことになります。すり傷程度で終って大事にはなりませんでしたが、まさか本番でも転倒することになるとは思ってもみませんでした。ゲガもなく走れそうでしたが、眼鏡の右のレンズが外れてしまいました。直そうとしましたがワイヤーが切れていてダメでした。これで残り34キロくらいを片目で走ることになりました。左は見えている、右はぼやけているなのでものすごく見ずらいことになりました。
16キロくらい、時間は6時半くらいになって明るくなってきました。なので眼鏡をはずして走ることにしました。ド近眼なのでぼやけていますが、左右の見え方が違うよりは走りやすいんですね。日が差してきた8時前からはサングラス使用にして走りました。ただこれも左右の見え方が違うので走りにくいことになりました。期待していたクジラを見ることはありませんでした。またクジラが見えるとなっても、この片目の眼鏡ではきっと見ることは出来なかったと思います。なんでこんなことになるんでしょうか?
30キロを超えました。ここからが未経験の距離になります。21キロから28キロ当たりのアップダウンがききました。上り下りが大変と言うよりは、道路の傾斜が日本ではあり得ないくらいきついんです。この斜めの道路を走ることで足にダメージがあったように思います。
呼吸は全く問題ありません。最初キロ6分20秒くらいでゆっくりスタートでしましたし、途中10キロから18キロくらいまで気が付いたらキロ6分を切るくらいのペースに上っていて少し抑えて走ったくらいでした。2年間のトレーニングは無駄ではなかったようです。
ただ35キロを超えた時でした。これまで重くはなっていましたが順調に動いてくれていた足に異変が生じました。まず左脚に軽いけいれんが起こりました。「ん、これは何?」と思って走っていましたが、次に右足にも変な感覚が起こるようになりました。そしてエイドステーションに到着して水を受け取り、それを飲むために歩いた後、走ろうとした時でした。「あ、つった!」この時はっきり足の筋肉がつったと意識しました。ここからが地獄の始まりでした。
つるとまともに走れませんので歩くことになります。これまでの経験だと一旦あるいてしまうと走りたくなくなるんです。もう心が折れてしまうんですね。さて困ったと思いましたが、このまま歩いてゴールするのはイヤだと思いました。なので少し歩いたら走ろうとしてみました。なんとか走れましたが、しばらくするとまたつり始めます。そうすると歩く、すこし歩いてまた走るということの繰り返しになりました。
そしてやっとたどり着いたゴールです。持っていた時計の距離はまだ41キロでしたので油断していたら、眼の前にゴールがありました。全部走り切れなかったという悔しさも、途中で消えてしまいました。ゴールしたという達成感もありませんでしたが、思ったより立派で 重い完走メダルをかけてもらった時は嬉しかったですね。これでもう思い残すことはありません。二度と再びフルマラソンを走ることもありません(笑)なんでこんなことする気になったんでしょうね?いまだに分かりません(笑)
ホテルに帰ってきました。ホテルはゴール地点のラハイナに取ってましたので、ゴール後歩いて帰ってきました。そのままプールに飛び込んでアイシング代わりにしようと思っていたのですが、プールサイドのベンチに座った瞬間、足のあちこちが強烈につってきました。これはまずいと思ったので、部屋に入ってシャワーを浴びて、横になることにしました。急な動きをするといきなり足がつってきますので、要注意です(笑)気が付いたら1時間半ほど寝ていました。
マラソン翌日
初フルマラソンのダメージはと言うと、意外に元気です。足底が痛いのと仙骨部に痛みがあって腰が伸びにくい以外は、足のつりもなく普通にしています。あとは右肩に鈍い痛みがあるのは転倒した時に打撲しているからのようです。転倒も4回目ともなると、転び方も上手になるようですね(笑)ホテルに帰ってから2時間程度、夕方1時間のうたた寝、そして夜1時間半くらいしか睡眠が取れていないので眠いですね。元々どこでもいつでも寝られる人ではないので、こんな人は海外でのマラソンは合ってないのかもしれません。また夜中出発のマラソンの時間に合わせてハワイ時間に合わせてきていませんので、時差ボケのド真ん中にいます。どうもこのまま日本に帰国ということになりそうです(笑)
ホテルでゆっくりしていたら結果が送られてきました。記録は4時間47分42秒、足がつらなければ4時間30分が切れたかも?ってことが唯一の悔やまれることでしょうか。フルマラソンの完走者は324人で、その中の172番目。男だけで言うと185人中111番目でした。フィーバーです(笑)60歳から64歳の男の中では10番目、立派なものです。完走者の日本人はたったの17名でした。日本人だけでは6番目、女性に一人負けていましたので男では5番目、日本人の60歳から64歳の男ではトップになっていました。探せば1番になる結果が見つかるものです。やっぱり1番がいいですね!(笑)
この日は初マラソンで動けないことも予想されましたので、休養日を取っていました。しかし、せっかくマウイまで来て何もせずに帰るのももったいないとも思っていましたが、ただ一人で観光する言っても行くところもないしな?と思っていました。
半年くらい前にテレビでマウイの紹介をしていて、星空ツアーというもがあって日本人のガイドさんが連れて行ってくれるというのをやっていました。夜になればカラダの疲れも少しましにはなるだろうし、夕食(お弁当)も付いているようでしたので、唯一の観光としてこのツアーに申し込んでいました。
登ったのはハレアカラ山という3,055メートルの山です。私が自分の足で登った最高地点ということになりました。登ったとか言っても頂上まで車で行けるので、登ったというよりは行ったが正解かもしれません。いきなり上がると高山病になってしまう可能性もあるということで、休憩を挟みながら徐々に高度を上げて行ってくれました。途中少し頭が痛いかな?と思ったりもしましたが、特に問題なく頂上まで行くことが出来ました。
星空ツアーですが、まずはサンセットから見ることになります。先週はずっとお天気が悪くてツアーも中止になっていたそうですが、この日は絶好のお天気になっていました。参加していたのは私を含めて10名でしたが、誰かの行いが良かったんでしょうね。昨日のマラソンに参加していたメンバーもいらっしゃいました。みなさん、仲間に入れていただいてありがとうございました。
キレイな太陽が沈んで行く瞬間、そしてその時にしか見ることが出来ない地球の影、写真では表現できないすばらしい自然がそこにはありました。この時間までは大勢の観光客が頂上にいましたが、陽が沈むとほとんどの人が下山していきます。そしてこれからがメインの星空ツアーです。
ここからの星は世界で3つに数えられるきれいな星だそうです。そしてこの日は月が上ってこないので星を見るのには最高のコンディションだったようです。さらに風もないのでそんなに寒くもありませんでした。それでもダウンのコートは必須(貸してくれます。)ですけどね。
「下を向いててくださいね。」という約束が取れて上を見上げると、そこには見たことも無い数の星がありました。高知の空には結構星がありますが、それでも輝いている星の数があきらかに違います。双眼鏡と天体望遠鏡も準備されていて、プラネタリウムでしかみたことがない星をみさせてもらいました。ガイドさんはこの星空を「天プラ=天然プラネタリウム」と呼んでいましたが、まさしくそんな星空でした。
ただ残念なのはこちらの目が60歳の近視、乱視、老眼の入った目だったということです。参加者の中に中学生の女の子がいましたが、彼女の目には私の何倍もの星がきれいに瞬いていたことだと思うと、若い頃に来たかったな!と思ってしまいました。
14時50分にホテル前でピックアップしてもらって、ホテルに帰ってきたのが22時過ぎでしたので、約7時間の濃密なツアーでした。マウイに行かれた時には是非行かれるといいと思います。
ホノルルに移動
1月21日(火)(現地時間)にマウイを離れてホノルル(オアフ)に移動します。飛行機は行きのハワイアン航空ではなくてモクレレ航空という小さな飛行機です。低い高度を飛ぶので下の景色が良く見えるという情報があって、1回乗ってみようと思いました。どの航路を飛ぶのかが分かりませんので、どんな景色が見られるのかは分かりませんでしたが、たぶん2度と乗ることはないと 思いましたので、チャレンジしてみました。なんか揺れそう(笑)
思っていたような揺れはまったくなくて、楽しいフライトでした。搭乗者は7名。搭乗券も無くて何番目のシートに座れと指定されるだけ。途中右側にクジラが見えた時は機体を右に傾けてクジラを見やすくしてくれたりとサービスも良かったです。飛行時間もジェットのハワイアン航空と変わりないですし、機会があれば一度乗ってみてもいい飛行機だと個人的には思います。ただフライト時間の表示もなく、突然呼ばれるので英語が分からないと少々不安なことは確かです(笑)
無事ホノルルに到着しました。ホノルルには昔から弟のようにしていた人がいて、今はハワイで日本酒を醸造しようと頑張っています。この人と合流して出国までの半日を過ごすことにしました。この人は闘犬センターの社長の息子ですが、彼が留学中にホノルルで会ったことがありましたが、まさか再びハワイで再会するとは思ってみませんでした。夕方には彼の飼っている闘犬の散歩にも付き合いました。さらに奇遇だったのは社長の奥さんもお正月をハワイで過ごすために来ていて、何と3人で夕食をご一緒することになりました。まさかのまさかです。こんなことってあるんですね。私が20歳くらいの時に桂浜の闘犬センターの2階で3人でご飯を食べて以来のことになります。懐かしかったです。
闘犬センターでソフトボールを始めた頃、まだ全国大会などに出場出来ていない頃の話しです。「国体で優勝したらハワイに連れて行く。」という約束をしてもらいました。これが私たちの結構なモチベーションだったんです。しかしなかなか国体には出場することすら出来なくて、優勝など夢の夢の世界でした。そしてついに優勝することが出来ました。優勝するまではいつも出ていたこの話しでしたが、何回も優勝するようになると、「優勝したらハワイ。」という話しは出なくなりました(笑)「あの話はどうなったがやろう?」という気持ちはずっとありましたが、なかなか予算のこともありますので、結局その約束は果たされることはありませんでした。まあその話を実際に社長の口から聞いたのは私と杉本さんくらいでしたので、ハワイ以外にあちこち連れて行ってもらっていますから帳消しでしょうかね(笑)最後の方に国体の優勝のご褒美に韓国旅行に分散して連れて行ってもらいました。私と杉本さんは結局それには参加していませんが(笑)私と杉本さんの中では、あくまでも「国体優勝したらハワイ」だったんです。
帰国します
1月22日(水)やっと帰国です。帰りの飛行機はこちらです。行きはブルーの1番機でしたが、帰りはグリーンの2番機でした。
時差がありますので飛行機が飛んでいる間に1日経過して、成田空港到着は1月23日(木)15:55でした。ここから大慌てで羽田空港に移動です。高知行きの最終の飛行機に乗るためには、ここから急いでリムジンバスに乗る必要がありました。そのために荷物は預けなくていい最低限しか持って行っていませんし、飛行機降りたらダッシュ出来るようにしていました。
飛行機を出たのが16時過ぎだと思います。ハワイ を楽しんだ家族はゆっくり通路を歩いていましたが、その横を汗かきながら走りました。なので入国審査の場所も混んでなくて並びもせずに通過、荷物を待つ時間もないのでそのまま税関に進みました、「荷物は全部お持ちですか?」と聞かれ「はい。」と答えるとカードを受け取ってくれてそのままどうぞでした。ここまで約10分。外へ出てリムジンバスのチケット売り場に直行、たどり着いたのは16時10分過ぎだったと思います。飛行機降りてたった10分で帰国なんて出来るもんなんですね(笑)
バスの時間は16時20分でした。これなら楽勝で飛行機に間に合います、少し遅れて出発して、途中夕方でしたので車も多く、1時間10分かかって羽田空港に到着です。これで高知に帰れます。
高知に帰ってきました。疲れました。一番疲れたのはカラダじゃなくて、英語をしゃべらないといけない、聞き取らないといけないとフル回転した頭だったかもしれません(笑)60歳の記念としてチャレンジしてきましたが、もうこれで長い距離を走らなくていいと思うと気持ちが楽になりました(笑)もう二度とフルマラソンを走ろうとは思いませんが、ソフトボールを続けていく以上、距離は短くなっても走ることはやめられないと思います。唯一得たものとすれば、10キロ程度の距離であればたいした距離ではないと思えるようになったことでしょうか。
長いブログになってしまいましたが、これが私のフルマラソンへのチャレンジの一部始終です。ハワイはハワイで良いところ満載の場所ですが、やっぱり日本がいいです。ヘロヘロになっている情けない自分の姿を知り合いに見られたくないという、姑息な理由から選択したマウイオーシャンフロントマラソンでしたが、最高のお天気が楽しい思い出にしてくれました。